自分の世界、外の現実

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brain.gif一見すると、自分の内面の世界と、自分の心の外のいわゆる現実の世界との区別は、はっきりしていて簡単なように思われますが、実際どうなんでしょう。今回はこのことについて、もう少し観察を深めてみようと思います。

強迫観念障害とは、馬鹿げていると解っていながら、頭からぬぐいされない考え、すなわち強迫観念と、そのためやむなく生ずる行動を繰り返ししてしまう心の病です。よくある例は、手にばい菌が付いたと思い込んで、何回も手を洗ったり、灯りを消したのですが、それでは気が済まず、戻って何回も電気をつけては消す行為を繰り返したりすることです。

この例から解ることは、本人は心のどこかで現実を知っていて、手は既に清潔だし、また、電気は既に消灯していると解っています。でも、強迫観念がそうではないと主張し続け、その結果現実を無視して、手を洗いなおしたり、電気を消しなおしたりします。自分の内面の世界によって、外の現実が変えられてしまうのです。

このような出来事は、強迫観念障害だけに限ったものではありません。もっと日常の身近な分野でも見ることができます。私達が知らない間に、「あの人は私のことを変だと思っている。」なんて考えてしまったりすることがありませんか。実際に相手が自分のことをどう思っているかは、解りませんし、それを知ることもなかなか難しいものです。しかしながら、自分としては、相手がどう思っているか、知っているかのように行動します。すなわち、自分の内面の気持ちが、実際の現実を変えてしまうことになるのです。

このような現象が顕著に現れる人の例として、対人恐怖症があります。ある意味日本で特有な心の病と言うことができるでしょう。普段から、人のことを気にしすぎる癖と、自分の自信なさが重なって悪化するものと言えるでしょう。そしてこの場合、困っている人は、他の人が自分のことを異常であると思っていると心配し、人前に出るのが恐くなるのです。その異常と言われる内容は、人それぞれで、中には自分の外見の一部を気にする人もいますし、自分の体臭を他の人が気にしているなどと心配する人もいます。

それでは、今までの考えとは逆に、自分の内面と外のいわゆる現実がはっきりして、別々になっている状態を考えて見ましょう。これは、自分で考えることや感じることは、自分にユニークなもので、必ずしも他の人が思っていることと一致しないという理解と態度です。ですから、

A:「私は今楽しんでいます。あなたは?」

B:「私は苦しんでいます。そしてあなたを嫌いです。」

私が楽しんでいるからと言って、相手が同じく感じるとは限りませんし、相手が自分を嫌いだからといって、自分の楽しみが止まることもありません。すなわち、2人の主観は別々であるということになります。ですから、

A:「あなたが私を嫌いな気持ちは尊重しますし、あなたが苦しんでいることを想像できます。」

B:「あなたは今、楽しいのですね。それは解りますし、あなたにとってはよいことだと思います。」

このようなやり取りが成り立つには、自分の考えや感情を素直に受け入れることが前提です。そして、自分を受け入れると同じく相手の考えや気持ちもそのまま受け入れなければなりません。そうした時に、相手が自分を嫌いなら、その現実を変えようと、何かをする必要はありません。相手が自分のように楽しんでいないので、現実を変えるために、相手に何かをしなければならないと思わなくてもよいのです。逆に、相手に合わせて、自分の考えを変えることもないでしょう。

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