年をとる意識

| コメント(0) | トラックバック(0)

私達は毎年、年をとり、成長をしていったり、老化をしていったりしますが、自分の主観から見る年の感覚にはあまり変化のないように感じます。20歳の時の自分と30歳や40歳になった時の自分を比べて見ますと、年をとったという認識はありますが、中から感じる自分というものはいつも同じです。にも関わらず、意識のどこかで年をとったという事も解っています。どちらかというと、年を取るという理解は、自己の客観視からくるもので、自分の主観と異なるような気がします。すなわち、年をとるということは、自己に関する知識であり、直接経験をすることではなさそうです。

年齢を数えて自分の成長や老化を意識できますが他にはどんな経験が年をとることを告げるのでしょうか。

成長している時には体がますます強くなっていくのですが、ある日、体が前ほど機敏に動かなくなったり、ちょっとの無理で怪我をしたりすることがあります。最初は一時的なものと思って片づけたりするのですが、何回かそれを繰り返している間に、自分の体が自分が思っているほどついていってくれないのに気が付きます。そのような時に年をとることを認識します。その結果セルフイメージを幾分調整しなければなりません。もう少し年をとったイメージを自分にたいして描くのです。

このような老化の認識は、自分の知能力に関しても起こります。気が付くことは記憶力の低下です。ある日、勉強をしていて若い時と比べると、勉強内容の取得があまりよくありません。若い時に簡単に覚えられた量をこなすのに何度もの繰り返しが必要になります。この経験をして、また年をとった事を確認し、セルフイメージを調整します。

また、年をとった事を周りの人から知らされる事もあります。ある日、若い患者さんの治療をしていた時のことでした。

患者:「天井のところから、何かぶら下がっていますよ。僕よりおじさんの方が背が高いから手がとどくんじゃないんですか。」えーっ、おじさんだって、、初めてそのように呼ばれた。非常にショック。もう、そんな年になったのかな。結局相手が自分をそう見るから、いやながら、セルフイメージを調整することになります。

英語環境の中でも、他の人によって自分の年を告げられます。ある日、

「......, sir.」と呼ばれて、自分ていつから、Sirなんて呼ばれるようになったんだろう、と思いました。ついこの間まで、「Hey, you there (boy)!」が当たり前だったのに、知らない間に人は自分を違うように見ていました。

このように他の人から、自分で意識しているより年上に扱われたり、自ら年をとることをある経験を通して認識したりして、しだいにそのイメージの受入ができてきます。すなわち、セルフイメージの調整が起こったわけです。その結果、自分から新しい年のイメージに合うような言動をし始めます。

このように考えてみますと、セルフイメージって案外簡単に変わるように思えませんか。まあ、年をとることに関して抵抗がない人にとっては、セルフイメージの調整も簡単かもしれません。そうでない人もいるでしょう。私がここで年をとる内容を取り上げて書くこと自体、自らの老けを見つめつつ、受け入れつつと言うことでしょうか。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.sweetnet.com/mt/mt-tb.cgi/152

コメントする

最近のブログ記事