不登校: 家族セラピーの実例

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アメリカでも不登校は日本のようにあるが、日本ほど社会的に問題としてとらえられてはいない。多分それは、もっと深刻な問題が目に付くからであろう。例えば、麻薬の問題だとか、学校への武器の持ち込み、未成年女子の妊娠、児童虐待、学力低下等、社会的問題として、対処しなければならないことが沢山ある。不登校は、個人的問題として、その都度介入が行われるくらいである。

日本人生徒の不登校は、アメリカに存在するユニークな理由で発生する。日本国内のように、いじめが理由で不登校に至る例は少ない。むしろ、言語的、文化的、人種的問題をその裏に秘めている。学校に行っても、言葉が解らなくて、授業の内容もよくつかめないことが多いし、友達もなかなか出来ない。アメリカの生徒は、日本人と比べて、違った興味を持っているし、付き合い方も話の内容も違う。そうしたところに、日本人生徒が短い間にとけ込むのは難しい。学校に行ったとしても、孤立した状態でいるか、日本人同士で固まっていることが多い。不登校は、そのような日本人生徒のアメリカに於ける背景をもとにし、その上に個人的な問題がかさなって、起こっているのである。

K.H.は、9年生であり、日本では中学3年生に匹敵するが、ここでは高校1年生である。アメリカの高校は4年制であり、義務教育9年目から高校に入り、12年生を終えたところで卒業になる。K.H.は高校生になったばかりで、彼女にとっては新しい学校へ行き始めたところである。

K.H.の母から電話があったのは、9月に新学期が始まって直ぐのことであった。その時点では、彼女はまだ2日しか学校を休んでいなかった。話しによると、夏休みに入る以前に、学校で気持ちが悪くなり、吐き気がしたという。その当時は、体の病気だと思って、小児科に通っていた。小児科の先生も、ちょっとした風くらいだと思い普通の処置をしていた。でも夏休み中、家族旅行に行った時にも気持ちが悪くなり、次第に変であると家族は思いだした。9月になり新学期が始まって間もなく、体育の授業中に気持ちが悪くなったのである。それをきっかけとして、他のクラスでも気持ちが悪くなり出した。気持ちが悪い時には、保健室へ行って時間を過ごしたりしていたが、朝から学校へ行かない日が起こり始めたのだ。このころには小児科の医師も精神的な問題であると判断し、私のところでサイコセラピーを受けることを勧めた。

K.H.は礼儀正しい良い子であった。この年頃に見られる反抗は、私に対してはなかった。彼女の言う、夏休み中に仲のよい友達が日本へ帰ったから、学校へ行き辛くなったと言う理由は、納得がいった。どちらかというと、恥ずかしがりやの消極的な性格で、一人で新しい学校へ行くのは、ずいぶん勇気のいることだったのだろう。

考えてみると、夏休み以前に、中学生で学校へ行かなくなった男子がいた。その時には、彼をサポートをできる良い人間関係をセラピー内で作り、家庭で両親がどのように彼と対応するかを教えることによって、不登校を解決した。それで基本的にはこのアプローチを使って、K.H.を援助していこうと思ったのである。放課後行われた50分のセションの半分は、K.H.と個人セラピーをし、残りの時間を母とのセションに割り当てた。

セションの翌日は、K.H.は学校へ行ったようであるが、他の日は休むことが多くなってきた。少なくともセションの翌日は出席していたようであるから、セラピーの景況はあるようであった。でも、それはまだ限られていた。彼女の出席は一週間続かない。そのうちにセラピーの効果が出始めるであろうと、私自身に余裕を与えていた。

ティーンエイジャーとのセラピーは、かなり難しい。過去に、失敗した例は少なくない。ところが、子供や大人とのセラピーで、失敗したと言える例はまれである。子供は依存性が高いから、セラピストに対して依存が直ぐ起きる。それ故に、セラピストの影響は大きいものである。大人は自分から問題を認めてセラピーに来るので、ある程度の協力は得られる。上手くいかなかったセラピーでも、何らかの助けをすることが出来た。でも、ティーンエイジャーの場合には、何もできなかったと言える例があるのである。その理由は、彼らは大人に反抗するだけの意志はあるが、自分から問題を認めてセラピーに来ることは少ないからだ。自分はセラピーをしたくないのに、親から強制的に連れてこられる。連れてこられることに反抗が出来なかったら、せめて、セションでセラピストに反抗し、セラピーを無効にしてしまうことは出来るのである。

もう一つティーンエイジャーのセラピーで難しいことは、たとえ彼らが協力的であっても、セラピストがどの立場を取るかである。彼らの立場を取るならば、親を疎外してしまう可能性が強い。彼らの欲求と親との欲求は相反していることが多いからだ。反対に親の立場を取ってしまうと、ティーンエイジャーを抑圧気味になり、セラピー内での抵抗が増える。それで、セラピストとしては、ティーンエイジャーの立場を取ったり、親の立場を取ったり、しばしば立場を変えることによって、両方をサポートし、両方から信頼を失われないように、微妙な道を歩かなければならない。

K.H.とのセションでは、彼女をサポートし励ましていった。そして母とのセションでは、親として必要な厳しさを子供に対してとれるように、導いていった。私は、K.H.がクラスに行こうが行けまいが、学校には行くという線を守りたかったのである。学校を休み始めると、ますます学校に行きづらくなる。それが始まってしまったら、セラピーは長引くであろう。だから、K.H.がクラスにいようが、保健室にいようが、図書室にいようがかまわないが、とにかく学校へ行って欲しかった。K.H.の母にはこれを説明して、毎朝彼女を送り出すことを重視させた。

余り大きな進歩が見られない内に5週間が過ぎた。K.H.は殆ど毎日学校へは行っていたが、図書室や、保健室で過ごす時間が多かった。私としては、このままセラピーを続けていけば、彼女は徐々に良くなって、最終的にはクラスへ100パーセント復帰できると思っていた。しかし、学校としてはそれでは遅すぎたのである。スクールカウンセラーが父親を呼びだし、説得に入りだした。このカウンセラーはK.H.の出席率が少ないことを理由にして、家庭学習か代用学校を勧めたのである。家庭学習とは、文字どうり、家庭教師が週に何回か家を訪れて行われる学習法である。費用は学校の方で負担し、特に精神的、身体的な問題で学校に行けない生徒に対して適用される。代用学校とは、生徒が学校で何らかの言動問題を起こし、校則を破ったために普通校にいられなくなったり、成績がいかにも悪いので、退学させられたり、喧嘩、いじめ、性格的問題で普通校での適応が難しかった時などに適用する。

どう言うわけか、スクールカウンセラーは家庭学習を強く進めたようであった。父親は、もしK.H.が家庭学習を始めてしまったら、もう学校には戻れなくなってしまうと懸念した。でも、カウンセラーの勧めで、それに必要な書類を受け取ってしまった。この書類には小児科の医師の署名が必要であった。それで、父はK.H.の小児科の医師を訪れたのである。ところが、この医師はK.H.は学校へ行くべきだとして、署名を拒んだのだった。その後私の方へ電話をしてきた。

医師:「ドクター・コバヤシ?」彼は日系三世の先生で、日本語は少々話すが、私とはいつも英語でやり取りをしていた。

私:「やあ、先生どうしていますか?」急な電話だったので、少し緊張して用件を待った。

医師:「K.H.の事なんですけれど、彼女、学校で出席していないようですね。」

私:(ちょっと変だな、K.H.はいくらかは出席しているはずだが、、、)「全部のクラスには出ていないようですが、少しは出ていると思いましたが。」

医師:「でも、欠席が多いらしい。学校の方から家庭学習のための署名が要であると、書類を父親に持たせてきました。私は彼女は頑張って学校へ行くべきだと思いますがね。」

私:「私もそう思いますよ。そう言うわけでセラピーをしているんですから。今、家庭学習を始めたら、意味がなくなってしまします。いくら何でも早すぎますよ。」(どうやら私の意向を確かめたいらしい。私も家庭学習を勧めているのかどうかと。)

医師:「それならいいんですがね。私はその書類にサインをしませんでした。また何かあったら連絡します。」

私:「お電話有り難うございました。」

少なくとも医師がどういう意見でいるかは解った。そして、学校の意見も解った。すなわち、セラピーに対して余り協力的でないことだ。学校の立場がいつもこうであるというわけではない。学校によっては非常に協力的なところもある。過去には、不登校の日本人女子に対して、わざわざクラスを変えてくれた学校もあった。彼女の行きやすいクラスを工夫してくれたのである。その時の校長先生は、私もその件で話したことがあるが、日本に対して興味を持っていて、この日本人女子についてもよい理解を示してくれた。その協力もあって、セラピーも上手く行き、不登校を解決することが出来た。また、学校の多くは無関心でもある。生徒が学校へ行こうがいかまいが、不登校のためにセラピーをしているのだと私が手紙を書くと、学校へ行けるようになるまでほっといてくれるところもある。K.H.の行っている学校は、協力的ではなかった。スクールカウンセラー自身が、余りセラピーに期待していないようである。このカウンセラーにとって、K.H.が精神的問題を乗り越えて、不登校を解決するかどうかは、どうでもよいようである。それより、欠席の問題だけを片付けたいようであった。そしてまた2週間が過ぎた。

カウンセラー:「ドクター・コバヤシ、あなたが信頼があって協力できる医師がいますか。ご存じのように、K.H.の小児科の先生は、家庭学習のための書類をサインしてくれません。でも、K.H.は家庭学習をするべきです。クラスには来ていないんですから。誰か、あなたが知っている医師にサインをしてもらわなければなりません。」

私:「でも、私は小児科の先生の言っていることに賛成だし、K.H.は家庭学習をするべきではないと思います。それが始まったら、今でも嫌々学校へ行っているのに、全く行かなくなってしまう。私としては皆で頑張って、彼女が学校に行けるようになるまで、セラピーするべきだと思います。」

カウンセラー:「でも、実際問題 K.H.はクラスから欠席しているんですよ。この学校にはこういう状態では居られません。医師のサインが必要なんです。解りませんかね。」

私:「あなたの言っていることは解りますけれど、それでは K.H.の事を考えていないでしょう。家庭学習が問題ではなくて、K.H.の不登校が問題なんです。もし、これを治さなければ、彼女が日本に帰ってからも、同じ問題になりかねません。今のうちに、出来るだけのことをしてあげなければなりません。とりあえず、明日、両親と会いますから、このことを話し合ってみます。」

カウンセラー:「それでは、明後日また電話をしていいですか。話しの結果を聞きたいと思います。」

このカウンセラーは強い圧力をかけてきた。私は明後日までに K.H.に関して何らかの決心をしなければならないと思った。そして、彼女の両親に電話をして、両親、彼女の姉、そしてK.H.に翌日セションへ来てもらうことを頼んだ。この時点で私に解決方はなかった。K.H.の不登校は直ぐには治らない。家庭学習はよい解決方ではない。代用学校へ送るのは、まだぴんとこない。普通校に行けないのに、どうして代用学校へ行けるのだろうか。いったいどうしたらよいのだろうか。この日一日考えてはみたが、結論には達しなかった。

翌朝目が覚めたら、まだ午前5時であった。どうやら、寝ながらK.H.の事を考えていたらしい。目が覚めた瞬間に彼女のことが頭に浮かんだ。すると一つ考えが頭の中をさえぎった。

「どうして代用学校が悪いんだろ。彼女の行っている今の高校は、家に近い。そのために、クラスが嫌であれば、歩いて帰ってくることが出来る。でも、代用学校は遠いし、車で送り迎えしなければならない。一度学校へ行ったならば、終わるまでそこにいなければならないのである。その上、その学校は人クラスしかないから、K.H.は何処にも隠れることが出来ない。彼女にとっては少し酷であるかもしれないが、この際頑張ってもらって、大変な部分はセションで助けていけないだろうか。」

そう考えると、心の緊張が解け、今日のセションの用意が出来たような気がした。

母:「昨日も今日も学校には行ってないんです。もう好きにしなさいって、上の娘も私も、頭に来ちゃっているんです。」彼女がK.H.の方を睨む様にして言った。K.H.は落ち込んだ顔をして、今にも泣き出すようである。

姉:「もう、何を言っても、関係ないって言うんで、そんなんだったらどうして皆に迷惑をかけるのよって、言っているんですよ。」姉も怒ってあきれた顔をしている。

父:「昨日は、私も喧嘩をしました。ずいぶん怒ったんですよ。なぜ、もう少し我慢して学校へ行かないんだってね。」怒った顔で言った。K.H.はますます落ち込んでいる。

私:(このまま家族に責め続けさせておくと、彼女の立場がなくなって、良い結果には導けない。介入が必要である。)「昨日スクールカウンセラーから、電話があって、欠席の問題についてどうしたいか、決めて欲しいと言ってきました。明日までに返事をしなければなりません。」そして、K.H.に向かって言った。「自分ではどうしたいと思う?」

K.H.:「代用学校へ行こうと思う。」小さな声で言った。

私:「えっ、代用学校って言った?」(私は少々驚いたと同時に、ほっとした。私と同じ意見だ。)「皆はどう思います?」

父:「そこに本人が行くって言うんなら、それでいいですよ。先日その学校を見に行ってきたんですよ。海の方に近い小さなところです。小さいから、先生の目が届くんじゃないかと思います。」

姉:「それだったらちゃんと朝起きていけばいいんだよ。でも、ちゃんと自分で責任を持って、皆に迷惑をかけないように。」

母:「いいですよ。でも、これが最後のチャンスだから。自分で選んだんだから、ちゃんとしてもらわなくっちゃ。」

父:「お父さんの聞きたいのは、彼女が最善を尽くすって約束することだよ。そしてゴールとしては、今の学校に早く戻れるように頑張らなくっちゃ。」

母:「そんなに最初から期待したら、出来ないですよ。小林先生も圧力をかけないようにって言ってたでしょう。」

父:「皆がこうやって助けているんだから、彼女の方も頑張ってもらわなければ、、、」

私:「まあ、自分で言っているんだから、彼女には頑張ってもらって、、、学校へ行くことだけは、親の方もきちんと毎朝送って行ってください。そこはちゃんと厳しくやってください。」私は両親とK.H.に期待をかけた。それから、「家に帰ってきたら、優しくして甘えさせてください。前にも言ったように、K.H.は自分の欲求を心の中に閉じこめて、外に表現しないんです。だから、一見何も問題がなくて、良い子に見えますけれど、実はかなり不満があるんです。私は今回の不登校問題は、家で甘えないで、学校で甘えが出てきたんだと、思っています。彼女のクラスへ行かないでいるのは、ちょうど小さい子が甘えているかの様です。このまま甘えないで学校へ行ってしまったら、甘える時もなく大人になってしまう。その前に足りなかった甘えの分を、今表現しているんです。家で十分甘える機会を作ってやってください。そうすれば、学校では大人のように行動できるはずですから。」

母:「そうなんですよ。この子は全然自分の欲しいことを言わないんです。上の子は、何でもかんでも言うんですけれど、、、」

姉:「いろいろと誘うんだけれど、一人で家にいた方がいいって、全然出ないんです。」

私:K.H.の方に向かって、「何でも欲しいものを言ってみなって、言ったら、何が欲しい?」

K.H.:「、、、イタリアへ行きたい。」

姉:「そんなの出来るわけないじゃない。」

私:「イタリアは後で連れてってもらいなさい。でも、皆でイタリアレストランへ行きなさい。それから?」

K.H.:「ローラーブレード買って欲しい。」

父:「それなら買ってやるよ。」私に向かって、「この間、見に行ったんですけれどね、ちょうどいいのがなかったんで。また買いに行けばいい。」

私:「いいね。他にはあるの?」

K.H.:「日本に帰ったら、お姉ちゃんと同じ学校に行きたい。」

母:「まあ、そうかとは思ったんですよ。この間、上の子と話していたんですけれどね、同じ学校へ行けないのを、苦にしているんじゃないかって。」

私:「その学校は、どういうの?」

姉:「帰国子女を受け入れる学校なんです。私は日本に帰ったらそこに行くことになっているんですけれど。K.H.は普通校を受けるわけだったんです。」

父:「その学校は私立だから、高いので、両方やるのはちょっと大変かなと思って。でも、やっぱりそれだったのか。そのことを苦にしていたのか。それならいいや。お父さんも頑張るから、お前も行っていいよ。」

K.H.:「やったー。その学校の方がいいもん。」

というわけで、緊張して、深刻に始まったセションは、明るく和やかに終わった。翌日、父親が学校の転校の手続きをしに行ったので、スクールカウンセラーからは私の方に連絡はなかった。K.H.はこのセションの3日後から代用学校へ行き始めた。そして、次のセションの予約日に、彼女は気持ちが悪いと言って、朝から学校へ行くことを拒んだ。母親が心配して、私のところへ電話をしてきた。ちょうどセションのある日だったので、事実だけ聞いて、電話を切った。

私:「今日は学校へ行かなかったって聞いたけれど、どうしたの?」彼女を責めないように、ただ事実を聞き出すために言った。

K.H.:「朝、ちょっと気持ちが悪かったんです。」

母:「私が下の子を学校へ送って帰ってきたら、もう布団をかぶって寝ているんですよ。その前まで全然平気で学校へ行っていたのに、不思議ですよ。」

姉:「ただずる休みをしていたんじゃないの。」

私:「何か学校であったの?」

K.H.:「昨日まで、ちゃんと行っていたんで、一日くらい良いかなと思って。」

私:(余り彼女の症状に集中してても、話が進まないかもしれない。)「そう。ところでこの過去一週間は、家ではどうだった?」

K.H.:「ローラーブレードで遊んでいました。」

母:「結構夢中で遊んでるんですよ。」

私:「少しは甘えているかな?」母に向かって言った。

母:「そうしていると思いますよ。」

姉:「私と店に行って、色々買いました。前より、良く出かけています。」

私:「それは良いね。」(家の方の状態は良さそうだ。K.H.はある程度サポートを得ているので、学校へ行くことをもっと強く押しても良さそうだ。)「朝、お父さんは彼女を連れていくことは出来ないの?」父に向かって言った。

明らかに母親が K.H.を学校へ送って行っているが、それを父親にさせると言うことは、彼女を始め家族全体に、K.H.が学校へ行くことの大切さを強調することである。実際には母親が連れて行ってもよいが、もし、K.H.が行きたくない時には、父親の出番があると言うだけで、効果があるであろう。

父:「出来ますよ。今朝は、上の子を送って行ったので、時間がなかったですけど。」

私:「そうしてください。もしK.H.が朝行くのが大変そうだったら、あなたが連れて行ってください。学校へ行くことだけは、毎日ちゃんとやってもらわなければ。」

母:「そこまで厳しくやる方がいいんですか。私は本人の意思で行って欲しいと思いました。」

私:「そうなんです。本人の意思で行くのが一番です。でも、それがだめだったら、親が助けてあげなければ、、、学校にはきちんと行かせてください。それで家に帰ってきたら、沢山甘えさせて良いです。それをやってみてください。」

と言うわけで、この日の家族セションは終わった。私としては、K.H.が毎日学校に出席することに確信は持てなかったが、徐々にそこに達するであろうと言う期待はあった。一週間後のセションで、欠席を一度としてなかったことを聞いて、嬉しかった。父親もK.H.を連れて行く必要はなかったという。家族全体が明るくなった。

私:「それで、学校の様子はどう。毎日何をしているの。」

K.H.:「コンピューターに向かって勉強したり、たまに先生の話を聞いたりしています。比較的自由にしていていいの。」

母:「何かその学校へ来る人達は、麻薬をしていたりする人達で、K.H.もマリハナを勧められたりするんですってよ。恐いですよ。」

姉:「でも、私の学校だってやる人いるし、そんなに変わりはしないよ。」

私:「そう。やっぱりそういう人いるのか。どう思う?恐い?」

K.H.:「初めはちょっとね。でもいい人達ですよ。人数が少ないから、少しは話して誰だか知ることは出来るし。ちょっと話したりすると、そこに居やすくなる。」

母:「この間ビーチまでクラスを散歩に連れて行ったんですって。戻ってきたら、服の下にかにを入れて持ってきた人もいるんですって。万引きして。それなのに先生は何も言わないんですって。」

姉:「もう、解っているんじゃないの。ああ言う人達なんだから。」

母:「でもねえ、驚いちゃった。それから、コカインを注射器でうつなら、自分でコカインを育てた方がいい、なんて言う先生がいるんですって。」

姉:「だって、注射器を回したら危ないでしょう。エイズなんかあるんだから。」

私:「やぁ、面白そうな学校だね。アメリカの面白い思い出になって、いいんじゃない。それでは、K.H.は無事に学校へ行っているようだから、今度は2週間後に来てください。でも、もし、一日でも欠席したら、私のところに直ぐ電話をしてください。そして、家族のセションを直ぐにします。それでいいかな?」

母:「今度は大丈夫な気がします。」

私:「それでは頑張ってやってください。ご苦労様。」

2週間、電話はなかった。その後のセションでは、良い報告を聞くことが出来た。K.H.は続けて学校へ行っているという。学校も好きになりつつあるという。母と姉が、K.H.は前の自分に戻った、と報告した。家では前のように、絵を描いたりゲームをして遊んでいるという。このセションをもって、K.H.のセラピーは終了した。

振り返ってみると、K.H.は夏休みの2週間くらい前から不登校の兆候を出しだした。彼女がアメリカに来たのは数年前で、その時には小学校に入ったのだが、不登校もなく、他にも問題もなく来ている。母親の説明によると、上の姉の方がいろいろと問題があって、最近までは母親に対する反抗など、大変であったという。K.H.が今になって問題になり、非常に不思議がっていた。

何も症状がないから問題が全然ないのではなくて、実は、問題は数年存在していたのだと思う。この問題というのは、彼女はアメリカに来て以来、よい子になりすぎていて、自分の欲求を出していないことだ。すなわち、子供らしく親に甘えることもしなかったのである。上の姉が明らかに問題を出していたので、ある意味で遠慮をしていたのであろう。その代わりに、家で得られないサポートを、学校で少ない友達から得ていた。中学校が終わりに近づき、たまたま彼女の友達は日本へ帰ってしまった。それで、コフート(Cohut)の言う双子関係(twinship)から得られる、サポートをなくしてしまった。その時くらいから、不登校の症状が出始めたと考えられよう。でも、もし、親からのサポートが強かったら、K.H.は友達の帰国を乗り越えられたであろうが、彼女は自ら親や姉に頼ることを、しなかったのである。新学期は始まったが、友達のサポートも親のサポートもない。K.H.の自我は弱いものであったはずだ。それが不登校につながってしまった。

セラピーが始まって時間が経つにつれて、私がサポートとなる可能性はあった。でも、このケースのように、それを待つだけの時間はなかったのである。そのために、家族セラピーを行い、家族にK.H.を甘やかせることをすすめて、サポートを早く作り上げた。結果として、それはうまく行った。

では、なぜ私は家族セラピーを初めからしなかったのだろうか。それは、もし、家族関係に難しい問題があって、家族がK.H.のサポートとなることができないことや、例えできても、多くの時間を必要とするかもしれないことを、懸念したからである。実際には、この家族はそのような問題はなく、幸いであった。もう一つの理由は、K.H.と個人セラピーをすることによって、私とのセラピー関係を経験してもらい、それを彼女の強みの一つとして、将来のために築き上げたかったからである。それを使うことによって、学校に戻ることができ、日本に帰ってからも、何かの役に立てば、幸いだと信じたからだ。

このレポートを書いた時点で、K.H.が日本に帰ってから、学校に関してどうなるかは解らない。元気で登校して勉強に励んでもらうことを望む。

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