集中のある生活の得点

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座禅をする方法の一つとして、集中瞑想と言うのがあります。座禅の勉強の初期に適当な瞑想法で、先ずは呼吸に集中するように導かれます。座禅を組んで、息を吸いそして吐く毎に「1、」「2、」「3、」と数えながら、息が入ったり出たりするのに集中し、10まで数えたらまた1から数えなおします。これを繰り返しながら、集中力を付けていきます。

座禅を始めて直ぐ気が付くことは、雑念が頭に入ってきて気が散り、呼吸の動きに集中することを忘れてしまうことです。ひどい時には、吐き出す息を数えるのも忘れてしまったり、「14、15、16、、」などと知らない間に数えていたりします。集中するのがたいへんなことであることを経験します。

長いこと座って、集中していると、時には雑念が減ったりすることもあります。また、座禅の経験が増えるにしたがって雑念が徐々に減っていきます。座禅の目的は、雑念を減らして、心が無の状態に至るまで努力をすることですが、今回考えたいことは、その雑念はいったい何を意味しているかということです。

この種の雑念は、座禅をしているときだけ、現れるものではありません。普段何かに集中しようとしているとき、心の隅から沸いて来ますし、疲れてボーっとしているときも、心配しているときも、夜中に目が覚めて、眠れないときも起こります。そして、自分にとって重要事件が起こり、直ぐ対策を練って活動しなければならないときに、心はいろいろな雑念で引き裂かれたりします。

雑念の本質は、自己防衛です。

雑念の内容を観察してみますと、過去に起こった思い出、苦しかったこと、楽しかったこと、やり残したこと、何かをしてしまった悔い、対人関係のむし返し、やりたいこと、やらなければならないこと等含まれています。これらを通してやろうとしていることは、自己問答をしながら、自己安定を図ると言うことではないでしょうか。

これを自ら意識してしようとしているわけではありません。長い間知らず知らずのうちに、自分のイメージを保つために、自分を説得したり、自分に言い訳をしたり、自分を納得させたり、または、事実を否定したりしてきたものが、習慣化され自動的に起こるようになったのです。

その一方、意識をもってすること、座禅で言えば呼吸を数えること、生活の中では、問題解決をしたり、仕事に集中したりするとこは、自分で苦心しながらするものなので、雑念よりもっと努力、すなわちメンタルエネルギーが必要です。そのために、よい睡眠後のすっきりとした頭の状態では集中力がよく、雑念が少ないですし、疲れているときには、集中力低下で雑念が増えます。

ちなみに、夜中の夢は、日中の雑念よりさらに自動的で、勝手に脳がやってくれるといった感じです。それでも、夢の目的は日ごろ起こる出来事の消化と言う意味で、自己を守るために、自然とやってくれる生存力であると言えるでしょう。

では、なぜ座禅をする時に、呼吸に集中をして、自分を守ろうとする雑念を減らす方向に努力をするのでしょう。それにはかなり深い意味が隠されているのです。

実は雑念が守る自分というものは、あまりよい自分ではありません。既に書きましたように、雑念は長い間知らず知らずのうちに出来上がったもの。それが守る自分もかなり「長い間」以前に出来上がったもので、古い自分なのです。あまりにも古いので現在には適応しませんし、使用できません。むしろそのような自分を使ったら、「現在の自分」にとって悪いでしょう。

「現在の自分」とは、古い自分よりは成長した、もっと社会のことや人間関係のことを理解でき、世間渡りが上手になった現在の自分です。誰にでもそのような「大人の自分」があるのですが、日常は古い自分と混合し、二つの自分を識別することは難しくなっています。それで、座禅では、古い自分を守る雑念を減らすことに努力します。日常に関しては、自然に起きる雑念を無視し、今、目前にある出来事や仕事に集中することが、自分にとって一番よく機能している状態であるということになります。

集中=Mindfulnessの実践に日ごろから勤めましょう。


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