この世の幻覚

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幻覚というものがあります。それは、明らかに現実にないものを、見たり聞いたりすることです。精神病の中で幻覚が多く経験されるのは、分裂病(統合失調症)です。分裂病の人は、そこにいない人の声を聞いたり、ないものを見たりします。そばにいる人には、何も聞こえないですし、何も見えませんから、分裂病患者に何もないことを説得しようとします。でも、分裂病患者は納得しません。

セラピーでも、分裂病患者にセラピストが幻覚が現実でないことを説得することはありますが、あまり効果はありません。私もセラピストとして説得した経験があります。やはり無理でした。

ある日、面白いことに気が付きました。分裂病患者は、実際に聞こえてないものを、聞くのですから、その聞くことは脳の中で起こっていても、耳の中の鼓膜は振動していないはずです。実際の音が鼓膜を振動させて、それが神経的メッセージとして脳に伝えられ、音を経験するのと違って、幻覚では、鼓膜の振動も、耳からの神経的伝達もないはずです。ただ脳の中で活動が起こっているだけです。

これを分裂病患者に説明して、実際に鼓膜が振動してないことを科学的に見せたら、説得できるかな、と思いました。その志を分裂病患者に説明してみましたが、やはり納得してくれませんでした。

しかしながら、鼓膜や網膜が刺激をされないにもかかわらず、物を聞いたり見たりするのが幻覚であるということは、私にとって、たいへん納得のいくものでした。つまり、感覚と幻覚の違いがそこにあると思ったのです。自分なりの納得で2,3年が過ぎました。

そしてある日、変なことに気が付いたのです。私たちの知覚は、外界を理解することですが、実際に鼓膜や網膜が刺激されてないものを感じとっているのです。例えば、時計を見て、今3時だと解ったとします。目から入った感覚的情報は、時計の形やら数字の形やら、色やら大きさやら、いろいろとありますが、今3時だという情報はどこにもありません。その代わり感覚的情報に基づいて3時だと、頭の中で意味をつけたのでした。これって、幻覚と同じなのでしょうか。私の脳の中で起こった情報は、分裂病患者が経験する幻覚と本質的に違いがありません。なぜなら、私は外にないものを見ているからです。

セラピーの分野での専門語で転移と言うのがあります。これは患者が、以前の人間関係で感じたことを、セラピー中にセラピストに対して経験することをいいます。例えば、過去に父親に対してたいへん怒りがあった人が、セラピストに対して同じような怒りを経験して、それを信じ込んでセラピストに怒りをぶつけます。患者が無意識のうちにそれをやっていることを理解させることが、セラピストのたいへん大切な役割になります。

この転移というものも、患者が実際にないものをセラピストの人に見てしまうわけですから、目や耳から入ってきた感覚的情報とは別に、脳の中である知覚をしていることになります。すなわち、これは幻覚と同じであるといって言い過ぎではないでしょう。

こうして考えてみますと、私たちは、幻覚の中で明け暮れしているのでしょうか。私たちが理解していたはずの現実とは、実は脳の中で作られた幻覚といっていいのでしょう。その上、私の幻覚とあなたの幻覚はよく似ています。私が今3時といいますと、あなたがそれを解ってくれて、3時であると感じます。私たちは皆で都合のよい幻覚を共有しているのです。ということは、人類が破滅したときに、私たちの知っている現実が消え去るということです。赤ちゃんが生まれてきたら、私たちは共有された幻覚を教え込まなければなりません。そうしないと子供は私たちが共有している幻覚の世界の中で、やり取りができなくなるからです。

分裂病患者が経験する幻覚とは、私たちと共有できない幻覚を経験しているといえます。私たちは自分の現実=幻覚を諦められないのと同じように、分裂病患者も彼らの幻覚を諦めないでしょう。

私が信じ込んでいた現実とは幻覚、すなわち夢みたいなものだったのです。あいにく私はこれまでいい夢を見てきました。それとも悪夢だったのかな。それとも、、、?

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