心の下痢

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akuma.gif5月に「おなら」のことを話題にしましたが、今回は下痢のお話です。「心のおなら」に匹敵することは、心のストレスの健康な発散の仕方であると述べましたが、心の下痢は言葉からもお解りのように、ストレスの病的な処理方法です。身体的な下痢とは、悪い食べ物を体に取り入れたとき、それを急いで体外に出すことです。同じように、心の下痢も対処できないストレスを速く心外に出す心の防衛機制なのです。

それでは、心の下痢とはどのような心理プロセスでしょう。と思って適当な例を探していたところに、偶然現れたのがこの患者さん。あまりにも今回の話題に的中でしたので、許可を得てここでお話をさせていただきました。

彼女はショッピングバッグを持ってセションに入って来ました。ちょっと何かためらっているようなそぶりをしますが、とりあえず着席。すると、ショッピングバッグを逆さにし、中身を放り出しました。いったい何が出てくるのだろう。床に落ちた物は、頭の部分が首からちぎれそうになったぬいぐるみ。それを追うかのように落ちたのがくだものナイフ。その周りには、ぬいぐるみの中身であったスポンジが散らばりました。私が、「これ、かたずけるのたいへんだよ。」と反応すると、それが嫌味にでも聞こえたのでしょうか、いきなり壊れたぬいぐるみの頭を果物ナイフで刺しだしました。1回、2回、3回、「お前なんかこうしてやる」と私に言わんばかりに、頭をめったさし、今度はぬいぐるみをなげました。中身がさらに散らばって、部屋がまくら戦争をしてまくらの中身が飛び散ったかのようにめちゃくちゃになりました。

いったい何が起こったのでしょう。彼女が自分でもこらえられないストレスを抱えて、セションへ来たのは確かです。そのストレスの内容は、ここでは直接関係ないので置いておきまして、それが彼女が解決できない問題であり、自分の存在をも脅かす驚異的または耐え難いものであると言うことは間違いありません。つまり、自分では消化できないお腹が痛くなるような要素を持っていたわけです。そのような心の状態であるとき、心理的防衛機制が働き、それを心の外へ出そうとします。ちょうど下痢をして、ばい菌を含む食物を体外に出すのと同じです。

しかしながら、心の下痢はその受け皿がないとそれを実行することができません。そしてその受け皿は、もう一人の人物の心であります。例えばストレスを下痢として爆発させたとき、そばに居合わせた人は、その威力を避けることが難しいです。受け皿となった人の心は、下痢で心が奪われ、今度はその人が下痢をするかのように、また放出しなければなりません。私の例で言いますと、ぬいぐるみのスポンジが床に散らばったとき、思わず「これ、かたずけるのたいへんだよ。」と困惑の気持ちを口走った時でした。そして反応=下痢を受け入れられなかった患者さんは、今度はナイフのめった刺しをして、より強く下痢をしてしまったのでした。

ところで、このような極端な心のストレスを外に出さないでいたらどうなるでしょう。下痢をして、ばい菌を体外に出さない状態のときと同じく、ストレスは体や心をアタックします。精神的不安定が起こり、自分をアタックする行為が起こり始めても不思議ではありません。吐き出せないストレスは自分を破壊に導く事と発展していくのです。それは劇的な表現で、自殺行為そのものであったり、もう少し程度が和らいだ暴飲、薬のアビュース、リストカッティング、車の暴走などいろいろです。

心の下痢は以前書きました「心のおなら」と違いまして、自分にそれをどうこうするコントロールがありませんし、病的な部分がありますから、決して歓迎するようなものではありません。こういう状態が起こり続くときには、心理治療が必要です。

さて、患者さんに戻りますが、その後、しばらくして感情が治まってきますと、トイレに行きたいと行って、部屋から出ていきました。未だ、放出が足りないのでしょうか。今度は実際にトイレでしようと言うわけです。心と体の関連性に驚きを感じて待つこと数分。私も気持ちが治まってきました。患者さんは、戻ってくると、散らばったスポンジを手で拾い、その後、バキュームをかけて部屋をきれいにしてくれました。

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