脳の衰え、発展?

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 どこかで読んだか聞いたかしれませんけれど、目でずーっとある一点を見つづけますと、それが消えて見えなくなってしまいます。目がものを見るには、目が動いていないと見えません。実は私たちがものを見ている時に、目は速い振動のように動き続けているのです。ちょうど、目がある位置でものの写真を撮り、また位置を変えて写真を撮り、次から次へと画像を脳へ送って、視覚と認知の処理をします。脳では幾つもの画像を総合してあたかも一つのものであるかのように、私たちに見させて、または思わせてしまいます。

 この一こま一こまの脳内の画像の連続が、視覚だけに限らず、聴覚、嗅覚、味覚を含む他の感覚にあります。ちょうど、私たちは映画を見ているかのようです。映画の実際のフィルムは一こま一こまイメージをスクリーンに描き出します。でも、それを見ている私たちは、不動のイメージを一つ一つ見る代わりに、動画を見ます。脳が画像を処理する過程で動作を作ってしまったようです。主観しか解らない私達は、外の世界とは違ったものを見せられて、脳に嘘をつかれているかのようです。

 年をとるといろいろな体の機能が衰えてきます。脳の機能の働きが衰えるのも例外ではありません。それはIQテストをしても発見できます。特に、非言語性知能が年と共に低下していきます。非言語性知能とは、言語を使わないで、主に視覚と動作を使って問題を解決する力です。この分野のテストは時間を計り、時間制限もありますから、速く問題を解決しなければなりません。お年寄りでも同じ問題をじっくり考える時間があったら解けるかもしれませんが、短時間でするにはそれなりのスキルを要するわけです。

 そこで思うのですが、脳がスローになったということは、先ほど述べました脳内の画像の処理速度が減ったということで、同じ時間内に若い人と比べると小数の画像を処理しているのかもしれません。もしそうだとしたら、これは面白い結果を想像できます。

 例えば、車の運転のスピードが年をとるにつれて下がってきます。老人がゆっくり運転をしていて、その車の後は渋滞ができたりすることは、極端な例ですが関連していることだと思います。しかし若い時には、ゆっくりな運転はつまらなくてたまりません。高速道路で制限時速を超えるスピードで走ってちょうどよいように感じられます。若者は短時間にそれだけ多くの脳内画像を処理してしまうので、スピードを出してもっと刺激を増やさないと居心地がよくないことでしょう。逆に老人は画像処理が遅いですから、ゆっくり運転をしないと、情報処理をしきれず危ないことになってしまいます。

 また、年をとればとるほど一日が過ぎるのは速いと感じます。子供の時には早く大人にないたいと思うのですが、なかなか時間が過ぎてくれません。年寄りになりますと、早死にはしたくないですからもっとゆっくり時間が過ぎてほしいのに、どんどんと消えていってしまいます。これはひょっとして処理する脳内画像数と関係があるのでしょうか。例えば、若い時に一時間にX数の画像を処理できたのに、年をとってからそのX数の半分しか処理できなかったら、X数を全部処理するには2時間かかってしまいます。一時間と思っていたのに気が付いたら2時間ですよ。道理で時間の進行が速いわけです。

 しかし、画像処理数が少なくなったとして、悪いことばかりではなさそうです。画像数が少ないということは、ある意味刺激が少ないという意味で、興奮しずらくなるというわけです。この状態は瞑想などの心を落ち着ける行動に役立ちそうです。例えば、瞑想をしていて脳の騒がしさが減り、画像処理数が減っていきます。そしてそれがゼロになった時、禅で唱える「無」の世界に入れるのかもしれません。若くて多くの刺激を求める時代より、年を重ねて心が落ち着ける時に瞑想をし「無」の意味、すなわち「生死」の意味をつかんだほうが意味がありそうです。

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