話し方に現れる過去の虐待

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j0234764.gif過去に起こった虐待が、現在においてどのように影響するのかは、心理学分野でたいへん興味あることです。よく言われることは、過去に虐待を受けた人のうち、3分の1くらいはその人自身虐待を侵してしまうということです。残りの3分の2の人達には、何も影響が残されていないというわけではなく、何らかの違う形で現在も影響が出ていると考えられます。

そこで今回見直してみようと思うのは、過去に虐待を受けた人の会話の仕方に虐待の跡がどのように表現されるかということです。もちろんこれは私が患者さんとセラピーを行っているときに、観察できることなのですが、その場に限ったことでなく、結構普通の会話に現れることなのです。

相手の主観の無視 誰かの話を聞いていて、こちらが感情や言葉で反応をするのが普通ですが、それに対して話す人が無視をしてしまいます。すなわちこちらに起こっている主観に気が付いてくれないのです。その一方話す人は夢中になって続けます。それでその話の中に入り込んでしまったかのように話します。

なぜこのような状態になってしまうのでしょう。実は過去に起こった虐待がそれと似ているのです。虐待というのは、親が子供の気持ちを無視して子供を勝手に扱い、その中には感情的、肉体的暴力も含まれていることです。子供の気持ちを察する親は、虐待をできません。それは子供が可哀そうだと思うからです。でも、虐待をしてしまう親は子供の心を無視して暴力をしてしまいます。

この「子供の気持ちを無視すること」の子供に対する影響は、子供自身相手の気持ちを理解できない状態に導きます。言い換えますと、子供が相手を理解できるようにするには、親が子供の心を理解してあげないとだめであるということです。この虐待の結果は、その子供が毎日親とやりとりをしながら強化されていきます。知らず知らずそれが身について、他の人とやりとりをしたときも、そのパターンが出てくるようになります。

相手の主観の無視の特徴は、相手を無視することによって、自分を守るということです。虐待された人にとって、一番注目しなければならないことは、自分を守ることです。相手はいつも恐く見えます。再度、相手が攻撃するのではないかといつも心配です。相手の理解はそれで十分なのです。それで自分がすることは、ただ必死に守ること。会話をしながら、聞き手が無視されたような気がするのは、実は話す人が一生懸命自分を守ろうとしている結果であるということです。

しかしながら、もう少しその続きをみてみましょう。話し手が聞き手の主観を無視してしまうということは、虐待をする親が子供の主観を無視するのと同じパターンではないですか。これは、話し手が聞き手に対して虐待と同じようなことをしているかもしれないということです。でも、それで相手が、取り返しのつかないような傷を負うわけではないですから、虐待とは呼ばないものの、虐待要素がそこにあるということは言えるでしょう。実際に話し手に無視されますと、怒りを覚えたり、自尊心が傷ついたり、退屈したり、またそれを我慢したり、それなりに嫌な経験をします。

おかしなことに、聞き手の怒りや退屈は、何らかの形で、話し手に対する不満として、表情に出ます。過去に虐待の経験のある話し手は、相手の不満の表情に敏感です。それは過去の虐待者の表情と似ているからです。それによって話し手は、相手が恐い人であることを再確認し、ますます自分を守ることに集中していきます。

ここまで考えて気が付くことは、過去に虐待の経験がない人でも、時によって、そして相手によって自分を守る体制に入ってしまうことがあります。しいて言うならば、虐待とは言わなくても、過去の人間関係で嫌な経験をして、それがもとで注意深くなったということはよくあることです。そのような時に、自分の気が自分を守ることに使われているほど、実は相手の主観に気を配ることを忘れていて、相手に対して虐待とは言わないまでも、失礼に当たる行動を微妙に行っているのではないでしょうか。であるとするならば、このようなことが、日常お互いに繰り返されて、人間関係を難しくしているかもしれないと思われます。

メッセージ:話をするときには相手の主観を忘れずに。

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