人にきらわれないように

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私達は、日常の人とのやり取りで、意識的に、そして無意識のうちに、人にきらわれないように、よく言えば、人に好かれるように、かなりの労力を使っているようです。人に好かれたり、ほめられたりした時には、問題になることは少ないです。でも、人に嫌われたと解った時には、落ち込んだり怒ったりします。中には、好かれたと思っても、続かないのではないかと緊張する人もいます。まるで、自分のイメージの成績表をわたされているかのようです。

私達がしたことで、評価が悪かったとき、あせってきます。自分が良かれと思ってしたことでも、他の人の反応が悪いとたいへんです。自分の良いイメージ、つまり受け入れられるイメージを人の間で保たなければなりません。何故かそうしないと、社会で生きていけないかのようです。そう社会化されているのでしょう。

人の自分に対する評価が悪いことを発見したとき、いろいろなことをやりだします。こういうのを防衛機制と言って、人の性格によって、やり方は様々です。

その一つで、一番よく使われる方法は、誰かを責めるということでしょう。自分のイメージが犯されたと感じたとき、それは自分がしたことでなく、誰かさんがしてしまったんだ、と思ったら、気が楽になります。その上、それを、自分を嫌いになりつつある人に伝えたら、自分を悪いイメージから救えるかもしれません。

また、自分を正当化することも一つの方法です。誰かに批判されたときとか、批判されそうになったときに、自分はこういう理由で、結果として問題になることをしてしまった、といいます。うまい正当化によって、自分がしたことは問題ではないんだと、むしろ、正しいことをしているんだと相手に伝えたいわけです。

自分のイメージを守るための他の方法は、自分がやってしまったことや、相手のそれについての評価を全面的に否定することです。そんなことはないでしょう、と簡単に片付けてしまうわけです。人によっては、無理のある方法ではあるのですが、結構使われています。

次の方法は、自分のよいイメージを保つというよりは、自分が悪い人であることを再確認し、落ち込んだりすることです。最初から自分のことをよく思っていない人がするしかたですけれど、何かが起こったときに、自分を責めて、相手に謝り、許してもらったりしながら、自分の場を保つといった感じです。犠牲者的な立場をとりながら、ネガティブなナルシズムを秘密に楽しむ人間関係を保ちます。

理性的と思われる方法としては、何かのことで自分の評価が下がり、イメージダウンが起こってしまったとき、自分の間違いと思われる部分をすばやく理解し、それをどのように改善できるか考え、間違いが今後起こらないように心がけていく、ということでしょう。人の自分についての批判を、自分の成長のために使っていき、最終的には、自分が肯定できるイメージを作り上げていきます。

このように私達は、自分のイメージを保つために結構努力をしています。しかし、ここで肝心な点は、自分でがんばって作っているイメージが、どの程度他の人に見えているのでしょうか。他の人が見る自分のイメージと自分が思っているイメージが一致するのでしょうか。この二つに共通性がないと、私達の努力は無になってしまいます。

セラピーをしていて、セラピストに映っている患者さんのイメージを、本人に伝えたとき、自分のイメージと一致しているときには、問題がありません。ところが一致していないときには、ショックになったり良い意味での驚きがあります。自分が想像していた自分のイメージと違うので、葛藤が起こります。セラピストの観察を受け入れられる人は、自分のイメージの更新をします。つまり自分が変わるということが起きるわけです。セラピストの観察を否定して、自分の今まで守っていたイメージを保ち続ける人もいます。自分に自信があるか、または、たいへん自信がないときにそうしそうです。少なくともどうして差が出たのか理解しようとしないと、自分に進歩がありません。

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