ロマンスをもう一度

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 最近ふとしたことから、ロマンスのことが頭に浮かび、いつものようにその複雑さに圧倒されてしむのですが、ロマンスを心理的に理解することは、確かに難しいです。でも、また見直してみようと思いました。

ロマンスといいますと、何か楽しい事を想像してしまうのですが、ロマンス中には、楽しい事だけではありません。何か私的には、日本語の恋愛と言ったほうが、ちょっとその難しさの感覚があるのですが、今回は恋愛の楽しい面でなくて、苦しい面のお話です。

その前にちょっとだけ楽しい面をまとめてみますと、人を好きになっているときは、心がハイになっています。心うきうき、夢のようっていうものですね。相手の人(女性ですと)が、きれいに見えますし、いっしょにいてうれしいですし、自分の自尊心も上がり、なんと幸せなことでしょう。

でも、これだけでしたら、恋愛にドラマがありません。すなわち、相手の人に会えないときの苦しさも述べなければなりません。何かのことで、恋愛相手に会えないとき、たとえそれが明日の話でも、心が落ち込みます。まるでうつになったかのようです。特にこの状態は、自分が未だ相手に気持ちを告白できてないときに多いように感じます。いわゆる「報われてない愛」ということでしょうか、非常に寂しくて、切ないと感じ、心が重く感じられます。心は刺激され興奮したいのですが、それができずにいるといった感じです。

では、報われたと思われた恋愛ではどうでしょう。相手を目の前にして、もっと近づきたい、溶け込みたいという気持ちの反面、何をしたらそうできるのか解らず、自分をどう表現したら、もっと接近できて満足するのか解らず、じれったくて悲しいです。

その上、相手が自分に近寄りたいことを知りたい。でも、それをなかなか確認できない。相手のそれなりのジェスチャーを待って、見守っているのですが、なかなかそれが見つからない。フラストでもあります。

もう一つ、恋愛について厳しい事実があります。それは、どんなに相手に近づきたくても、どんなに相手と溶け合いたくても、そのプロセスで知らされることは、自分と相手は別の個人なのであるということです。これは単に物理的に、人は自分の肌を超えて、相手に近づけないというだけでなく、二つの心が完全に解け合うことが不可能であるということでもあります。

私たちの心は、やはり自分の過去からの経験で出来上がっています。それゆえ、自分と違った経験をしてきた相手の心と、同じになれるはずがありません。すなわち、二人の愛人が、同じ感情を持って同じようなことを考えることなどないでしょう。でも、二人の心が一つと錯覚する人は、少ないとは思えません。その錯覚のために、ハネムーンの後、相手に対して失望する症候群があるわけですから。

そして多くの人は、この融合不可を認めたがりません。そのために、相手との時間が他の人に奪われたりすると、嫉妬心になってしまったり、相手を自分と融合させるために、無理なコントロールを相手に向けてしまったりします。また、ちょっと行き過ぎたところで、相手との融合を求め続ける症候群、すなわち恋愛中毒なども現れてきます。

相手との融合を求めながら、それが不可能な状態でいることがロマンスですから、ロマンスとはある意味、報われない恋と言うことができるでしょう。そして報われたときには、ロマンスが終わりをとげ、たとえば、結婚というような、違った人間関係に移り変わっていくのでしょう。

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