子育てに失敗したっていいじゃないの

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 ある友人が自分の母親を「母親として失格だ」とひどく批判していました。彼女の母親は自分のやりたいことがいっぱいあったにもかかわらず、こどもがいたためにできなかったとしょっちゅう愚痴をこぼしていたようです。やりたいこともこどものためにあきらめ、やらなかったことが子どもへの愛情だとその母親はいいたかったのでしょうか。他にも彼女は母親の子育ての姿勢に対して大変否定的でした。

しかし驚くことにその出会いから数年後、彼女はすっかり自分の母親を許していたのです。話を聞くと、「子育てなんてしょせん大成功なんてありえないのよ」と妙に納得していました。そうなのです。特に最初の子どもとなると実は失敗の連続なのです。最初の子どもは思考錯誤で育てるギニーピッグ(実験用のマウス)なのです。わからないことだらけゆえに本に書いてあることをすべて鵜呑みにして実行したり、保健婦さんの言ったことを従順に守るのです。疑うというすべも知らないこともあります。それゆえに時には我が子の場合には当てはまらなかったり、事の事態を誤解して失敗していたと言うことが数多くあるのです。

私も長男のときは時計と睨めっこをしながら授乳時間を右10分、左10分と決めていました。赤ちゃんに日光浴といわれれば、真冬でもまっぱだかにして窓を開けてこれまた時計を見て時間を測りながら日光浴をさせていました。なにも分からないから言われるがまま素直に実行しました。何も疑問に思わず、とにかくこの小さな命をちゃんと育てなくちゃという使命感に燃えていました。泣き止まないからと総合病院の救急にも走り、看護婦さんに笑われた経験もあります。皆さんも一生懸命にその子どものことを思い、愛していたからがゆえに行っているはずです。それでもそれがたまたま裏目に出てしまうこともあるのです。しかしそれでもいいのです。しょせん母親一年生は失敗から学ぶのですから。当然二人目となれば失敗率は減っているはずです。それは一度何が間違っているか失敗や経験から学んでいるからです。だから二人目は幸せかといえばそのように測れるものでもありません。

 

環境、時代を克服する

人生にはどんなにがんばってもなるようにしかならないこともあるのです。特に私達は生まれた環境を選ぶことはできません。さらに親を選ぶこともできなかったのです。たまたまアルコール依存症の親のもとに生まれてしまった。貧困の家庭に生まれた。それはどんなに努力しても変えられません。そのため、それは事実として受けとめるしかないのです。そしてたとえ受けとめられなくてもその人の人格が否定されたわけではないのです。環境を選べなかった人がすべて否定されたら私達は生きていく自信が無くなってしまいます。

子育て思想も同じです。「3才までは母親の手で子どもを育てろ」、「母乳で育てた子は情緒豊かになる。」、「母親との絆が結ばれるのは産みの苦しみを知ってこそ」、「赤ちゃんは新陳代謝が激しいので毎日お風呂に入れなくてはいけない。」、「断乳はいつまでにしないといけない」、「指しゃぶりは歯並びに影響するからやめさせろ」、「早期教育は3才過ぎたら遅すぎる。」とこのようなプロパギャンダ(回りから耐えず吹きこまれる理想像)にどれだけの母親が身も心もゆすぶられてきたことでしょう。そしてそれができないと世間では冷たい母親?母親として失格?とレッテルをつけてきました。

時代が変わり、その思想が間違っていたということに後々私達は気がつくのです。そしてその時にはもうこどもは手を離れ、遅すぎると言うこともあります。それを失敗と取るなら失敗でしょう。

あの時にこうしていればよかった、あの時ああしていればよかったといつまでも後悔していても始まりません。あくまでもその時点においては自分の限られた知識と経験の中で一生懸命精一杯にやった結果なのだとこどもに許してもらうことです。その時はもう二度と戻らないのです。その時はその時しかないのです。昨日をもう一度生き直すことはどんな金持ちでもできないことなのです。Yesterday is gone. Tomorrow is the unknown. That is why today is the present.そのためにも今日という日を納得のいくように生きていかなくてはいけないのでしょう。

人生のいいところは、たとえいつになっても気持ちさえあれば、やり直しが効くことだと思います。つまり生きていればなんとかなるもんさというものです。人間には生きようとするものすごい力があるのです。たとえ逆境に置かれても這い上がるだけの生きる力を備えています。そのためこどもの中にもしっかりその力が存在しているのだと信じて前向きな姿勢を立てなおせることに自信を持ってもらうことです。その時にもう親は手を出さなくてもいいのです。自分自身の人生を切り開いて行けるように遠くから見守っているだけでいいのです。子ども達の人生は巣立った後の方が長いのですから、その後は自分で責任を持って人生を切り開いて行けばいいのです。

 

では、今なにができるか?

今、私達に欠けていることは、みんなといっしょならば安心、他の人と違うことをするのはこわい、自分の信念を通すだけの強さがないといったところだと思います。うちはこれでいいんだと胸を張って自分と子どもとの関係に納得し、ハッピーであると言えれば自分だけの子育てに自信を持てるようになるのです。そうでなかったら夫が亡くなってしまい、生後数ヶ月で保育園に入れられた子ども、海外で生活していたがために緊張のあまり母乳が出なかった人工乳育ちのこども、その家族にこどもが授からなかったがゆえに養子として迎えた子どもが救われないじゃないですか。彼らが皆、そんなに不幸な人生を歩んでいますか?

子育て一般論なんてあくまでも空想であり、理想であり、現実にはこどもの数だけ子育て方針があっていいのです。だからそんないい加減で無責任な情報にまどわされず自分自身の子どもと向き合った我が家の子育て方針を探していってください。海外で子育てをしている多くの母親が、「情報がないだけに、それに頼らないマイペースの子育てができてよかったと思います。」というような感想を寄せています。もしかしたら情報がない方がちゃんとこどもの信号をキャッチできるよい環境に恵まれているのかもしれませんね。

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