あいさつは自己形成への第一歩 (その2)

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 前回はあいさつが人間関係を保つ為にいかに大切かについて話しました。さらに今あいさつができなくてもあいさつの気持ちよさがわかったらきっと子ども達は自然とすすんであいさつをするようになるでしょうと話しました。そしてそのお手本は親だとも言いました。今回は少し掘り下げてあいさつの大切さについて分析してみます。

あいさつというのは他人に対する単なる形式的な儀式と思われるかもしれませんが、あいさつとかマナーとは子どもが社会の中で生きていく上でお互いにどのような心地よい人間関係を作ったらよいのかに導く機能とも言えると思います。人間はさまざまな人との関わりの中で自分の存在を確認して自分が他者との関係においてどのような位置にいるのかをみつけるのです。それが人との関係の中でなのです。そしてその第一歩のかかわりをもつものがあいさつやマナーだと思います。これがしつけの基本であるということ、そして今一度これを親である皆さん以外に誰も子どもにしつけられないということをさらに指摘したいと思います。「先生、まだあいさつもできないので。教えてあげてください。」としつけを幼稚園の先生に任せるのは間違いです。しつけは親の大きな役目であり、社会に順応できる子どもを育てるにあたって大きな責任です。

私が心配しているのはいじめ、登校拒否、17才犯罪の根底にあるものが共通しているように思えてしかたがないのです。それはこれらの多くの子ども達が思いのままになる家庭の中で「自分が中心の世界」にひたって育ってきたと言うことです。親はのびのびと育てたと言いますが、子どもの行動を見ていると、単にわがままにさせてきたと聞こえます。そういうこどもが大きくなって他人との関係によって成り立つ「他者とのよい関係を保つために自我を調節しなくてはいけない社会」でどのようにかかわっていいかわからないからこのような異常現象が起きているのだと思います。

これからの子ども達の環境は悪化する一方かもしれません。子ども達を放っておけば、自分だけの世界に閉じこもっていきます。パソコンにしても、テレビゲームにしても自分の殻の中に閉じこもっていることで心地よい世界です。私はこれらを全面否定しているのでなく、使い方を誤ると危険だと忠告しているのです。特にパソコンは一番身勝手になれるところだと思います。相手の顔が見えないだけに人を中傷するような発言を出しっぱなしでいる人も見受けられます。自己規制のきかない「自己主張」だけが先行する行動傾向をパソコンの世界は助長していると思います。育児を全面的に担わざるを得ない母親はしつけの一貫性に欠けてしまいます。子ども達だけで遊べない都会は常に親の監督の目からのがれず、人間関係の基礎をつくる子ども達同士でまもれる機会を奪われてしまいます。

それでも専門家や子どものおじいちゃん、おばあちゃんはこうしろああしろと次々にアドバイスをし、母親だけを攻めます。もう私達はわかっていながら、けれどもできないという状況にまで追いこまれているのです。むずかしい環境での子育ての中、簡単に思えるあいさつを教えることひとつとっても、今の親はチャレンジを強いられているのです。

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