しつけの視点 

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あるバスの中での光景をお伝えしよう。そこには4才くらいの子どもが席にすわっていて、そのわきに1才くらいの赤ちゃんをおんぶしているお母さんがいた。赤ちゃんは重そうであった。それでもその母親は子どもに席を与え、自分は立っていた。おそらくこの光景は日本では当たり前に写るのであろう。しかし、私の目には、重い赤ちゃんを背負っている母親こそ席が必要なのではないかと解釈したのだ。4才の子どもは元気そうだった。母親が手を持っていれば、しっかり立っていられるはずだと私は思った。だが、日本はまず子どもの安全が重視され、子どもが優先される世の理解なのだろうなと察した。グローバルな視点では、今、親の安全を確保して、初めて子どもの安全に気を配ることができるという理解が浸透しているようだが。例をあげてみると飛行機での酸素マスクのデモンストレーションを思い出してほしい。あれはあきらかに、親の酸素マスク着用の上、子どものを着用させるようにと指導しているのだ。

次にその子どもがきちんと席にすわっていない。立ってみたり、横すわりになってみたり。そのとき、その母親は「みんなちゃんとしてるわよ。」「みんなに笑われるよ」と子どもにきちんとすわる指導をしていた。その子どもは他の人から笑われるからきちんとすわらなくてはいけないということ、他の人たちはみんなきちんとすわっているからその子もきちんと座らなくてはいけないことを教え込んでいた。つまり他人(みんな)あっての自分(子ども)ということをその母親は子どもにしつけていたのだ。さらに、「運転手さんに降りてくださいっていわれるよ」と多少脅しとも思われるニュアンスを含め、運転手さんに怒られるからきちんと座らなくてはいけないことを子どもに伝えているのだ。よく昔、おまわりさんを持ち出して子どもにいうことを聞かせるのと似ているなと思った。つまりおかみを利用したしつけの仕方だ。

この母親のしつけの仕方を観察していて、私は、あれ?いったいいつになったら、安全、危険というコンセプトをその子に伝えるのだろうかと待っていた。つまり、その子どもがきちんと深くまですわらないといけない理由は、バスが急に止まった場合、あるいはカーブなどで曲がった場合に、席から子どもが放り出され、けがをするかもしれない危険性があるからだ。「バスが急に止まったりしたら、頭を打って危ないでしょ?だからきちんとすわりなさい。」のはずだ。「ほかの人から笑われるわよ。だからやめたほうがいいんじゃないの?」ではしつけのインパクトしてはあまりにも弱い。危ないことは絶対にだめなのだ。子どもにその選択の余地は与えなくてもよいはずだ。周りの人がどう見ようと、周りの人が笑おうが何をしようが、子どもを危険から守ることとはまったく関係ないはずである。大切なことは将来、その子どもが危機を察し、自分の身を守るすべを自らはかれるようになるかどうかである。それをしつけるのが親の役目である。

しかし、こんなことを書いたら、私のしつけは厳しすぎ、日本のしつけの仕方にはマッチしないと非難されそうである。それでも、私はやっぱり言い続けるしかないかもしれない。それは私は子どもたちを守るという視点に立っているからだ。

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