澤田美喜 黒い肌と白い心〜サンダースホームへの道

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ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」を読んで義明が6歳まで育ったエリザベス・サンダースホームの創設者の澤田美樹さんについて、もっと詳しく知りたいと思い、彼女の自伝であるこの本を購入しました。

三菱財閥の長女として生まれ、男勝りだった幼少期、なぜか聖書の言葉に強く惹かれた少女時代。周囲がなんとか伯爵家の息子と結婚させようとする中、わざとお見合いをぶち壊し続けて周囲を困らせた娘時代。そして中国、アルゼンチン、イギリス、アメリカ(NYの総領事として)などを渡り歩き上流社会での華やかな生活を送った外交官婦人時代。パールバックやジョセフィーン・ベーカーら著名人たちの交友。

でも、彼女は段々と華やかな社交界の絶え間ない催し、夫の出世のために夜を日についでのもてなしに、むなしさを感じはじめます。「そのようなことに何が残るのか。人のため、世のためになる何が残るのか・・・」と。そして社会事業の中に彼女の心の飢え、渇き、求めているものを見出していきます。

やがて帰国、第二次世界大戦。息子たち3人は次々と徴兵され、三男は戦死してしまいます。

戦後には財閥解体。実家は全てを失ってしまいます。

敗戦国の惨めさをつくづく味わっていた頃、まるでボロくずのように捨てられた蒼い目の、または黒い肌の、または金髪の嬰児たちの死体を道端に、どぶの中に、川の中に見かけるようになります。そしてある日、列車内で棚から彼女の膝にふろしき包みが落ちてきます。それは風呂敷と新聞紙に包まれた黒い乳児の死体でした。その時、彼女は、このような子どもたちのために母になることが自分の使命だと啓示を受け受けます。そして決心します。「この仕事のやりとげられる最後まで、神、われと共にいませ・・・・」と。

しかしホームを創設するにも、実家は財閥解体、GHQの接収により、全ての財産を失っており、まったくゼロからの出発でした。金策に駆け回る日々、そして進駐軍からの執拗な妨害など数々の苦難を乗り越えてエリザベス・サンダースホームを支え続けます。

そして聖書の「天国に至る道はせまく、けわしい」という言葉に行き着きます。

引用
「私は、すべての地上の宝を敗戦によって失いました。また、持っていたものは、すべて仕事に捧げました。物を有しないということは、こんなにも幸福なものでしょうか。私は、必死になって、守ろうとしたり、ふやそうとしたりする心のわずらわしさから、いっさい解き放たれたのです。

求めたからこそ、与えられたのです。
失ったからこそ、見出したのです。
悲しんだからこそ、なぐさめられたのです。
下に落ちたからこそ、引き上げられたのです。」

「私はロンドン時代に人生の冷たい扉にぶつかって、大いにもがいたことがあります。お金で買うことのできない幸福の存在を知って、それを求めました。それから33年の今日、金銭で買うことのできない幸福を見つけ出しました。人をしあわせにすることは、自分の幸いを得ることにつながっています。

幾多の失望も、試練もありましたが、それは今日へつづく飛び石でもあったのです。その飛び石を伝わってきてこそ、ここに至る道があったのです。完全な幸福は、多くの場合、いろいろな変装のもとに訪れてきます。はじめから、むきだしでくる幸福は長くは止まっていないでしょう。変装した幸福を受けてこそ、やがての日、その中の、真の幸福がむき出されてきます。そして、それは永久にその人のもとに止まることになります。」

当時の日本での混血の子どもたちへのあからさまで非情な差別にも改めて驚かされます。幼い子らの心を守るためにも彼女は敷地内に学校を作ります。また養子縁組も積極的に進め500人以上の子どもたちが海外へと旅立ちます。日本での彼らの将来を案じ、園で成人する子達のために新天地ブラジルへ移民させるためアマゾン流域の開拓をし農場まで設立してしまいます。最終的には2,000人以上の混血孤児を育てあげました。

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