中学以後の教育 by「サイコロTOWN」内藤敦さん

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こどもが心を開く親の話し方、聞き方 http://www.sweetnet.com/parenting2.htm
の特集で、何度か執筆いただいた「サイコロTOWN」の内藤敦さんが久々に、SweetHeartのために執筆してくださいました。

中学生 高校生 大学生あたりの年齢の子供の教育・・

さて、ちょっと前置きが長くなりますが、この辺りの年齢となるとそれはもう個人差の大きい事!東大を目指している子もいれば、毎晩バイクで走り回っている子もいますね。それが0歳児の時はどうでしょう?当然、個人差はありますが小さいものですね。良く泣く子 オッパイをよく飲む子 よく寝る子 またはそうではない子 こんな個人差はありますが・・でもみんな言葉も話せず動き回る能力も限られています。

そして、1~2歳辺りから子供はいろいろ個性が出てきます。脳も変化しやすくいろんな事を学び取る時期、何を学んだかによって大きく変わる時期でもあります。特に1歳~5歳辺りは子育ての1つの山場かもしれません。この時期の子育てを上手くやると後がかなり楽になるので、私も重要な時期だと思います。とても大きな個人差が出てくる時期ですね。

ただ、親にとっては「子育てが急に難しくなった」と痛感する時期でもありますね。子育ての1つの難関でもあります。(魔の2歳児などとよく言われますね。)そして、年齢を経るとともに、一人一人違う人間へと育って行くことでしょう。

ですから、中学以後ともなると もう生まれてから十数年経っていますので、その個人差の大きさは計り知れないほどです。この辺りの子供を十把一からげに考える事は大変危険なので、予めその点をご了承願いたいと思います。その点をご注意いただいた上で、中学以後の教育についてお話したいと思います。

さて、お子さんが中学生になる辺りから『思春期』と言われる時期になりますね。親にとって、お子さんが2歳辺りの『第一反抗期』と言われる難関の次に「子育てが難しい。」と感じる時期でしょう。ただ、子育ては年齢が何歳であろうとも子供のことをよく理解しておく事から取り組むべき事に違いありません。子供を理解せずに育てるのは「医学を知らずに手術するが如し!」ですからね。

そろそろ"進路"という言葉が出てきて、親として気になる事がいろいろ出てきますね。

「うちの子はこんなので将来やっていけるだろうか?」
「受験なのに勉強もせず何を考えてるのだろうか?」
「将来はどうするつもりなのか、ちゃんと考えてるのだろうか?」
「こんなに苦労して育てた結果がこれかっ!」

と嘆きたい場面もあるかもしれません。社会人となるゴールへ向けて、「うちの子はあれが足りない。これが出来てない。」と心配事は尽きないかもしれません。

ところで、親は我が子を子供だと思っています。確かに現代の文明社会のルールでは子供と言う事に規定されます。家族の中で親は親でありその子供は子供です。間違いありません。社会でも自分で経済的に自立するかある年齢を超えなければ児童ということになります。

ところが、生物学的にはどうでしょう?人間は間違いなく生き物ですし、動物の仲間です。ですから、生き物として定められた習性から外れた教育は間違いなく失敗します。どんな心理学よりも教育学よりも生物学が優先です。人間が持つ本能ですからね。そして、どの動物も大人になる次期は決まっています。

どの動物も子供が産めるようになると大人なのです。では、人間はというと 本来大人になる次期は12歳~15歳です。子育てはこの辺りの年齢で完了ということになります。実際、もし順調に育った子は 本能的に"子ども扱いされるのを嫌う"ことが増えてきます。それは言い換えれば「一人の大人としての誇りを持ちたい!」と思っていることでもありますね。

文明社会的に見て大人とは、社会で自立した生活をする人です。生物学的に見て大人とは、親とは無関係に自分の行動を自分で決定する人のことです。

中学生 高校生 大学生・・・この年齢の子供達を理解する上での第1歩として、文明社会的には子供ですが実は大人・・・言い換えれば、大人なのに子ども扱いされる人(大人としてのプライドをズタズタにされながら暮らしている人)・・・という何とも心苦しい立場にいることを知っていただきたいと思うのです。さらに、初めて大人という自意識を持って社会に接する不安(つまり大人としての自分を確立できるか?)と、まだ不慣れな恋愛へと向かっていく不安もプラスされ、『思春期』という難しい時期となるわけです。さて、この時期を大人と呼ぶべきか子供と呼ぶべきか・・このページでは便宜上 社会通念にしたがって子供と呼ぶ事にします(ですが決して子供ではない!)。

さて、お子さんは親が思う以上に広く社会を見ています。親よりも社会の方が広い!と知っています。これは当然の事ですね。親が(つまり1人や2人の人間が)社会全般をカバーすることは出来ませんからね。それでいて、社会の広さ巨大さに戸惑います。これも当然ですね。いくら気持ちの上では大人でも社会的には未熟ですからね。

つまり、自分のプライドに見合う実力がない事も痛感している!これは大変 心に痛いところなのです。だから、それを隠そうとします。他の大人に対して尊大な態度をとってみたり、子供扱いする親に対して「うるせーっ!!」と怒鳴ってみたりしたくなります。それは「自分はもっと立派なはずだ!(そうでなければならない!)」という心の叫びのようなもの。

私は、本来子育ては12歳~15歳までに完了すべき! 生物学的に大人になると、もう親の言う事は聞かない!

後は子供が自分で成長すべきものと考えますが・・・
しかしねぇ、その年齢までに充分に親として教育できたか?というと、ほとんどそうはいかないと思うのです。

そして、もう親には何も出来ないのか?・・・・

そこで!12歳~15歳後でも、親に出来るやり方をお話しましょう。

(ただし、冒頭に書きましたように、この時期のお子さんにはとても大きな個人差があります。誰にでも通用する事ではありませんよ。)さて、重要なのはお子さんが 子供から(生物学的)大人に変化してるのに、親が何も変化していないのはまずいのです。小学校低学年の時と同じようにお子さんに接していては、うまくいくはずはありませんよ。この時期の若者について ここで書いて来たことを振り返っていただきたいのです。子供に影響を与える事が出来るのは、親ではなく社会です。

そこで、社会制度上は親だけど、実際には親とは思えない人になりましょう(笑)それで、初めてこの難しい若者は親の言うことに耳を貸すのです。

つまり、親ではなく"社会の中の親しい誰か"・・になっちゃうのです。親と言う立場で子供にガミガミと100万回言っても効果はありませんからね。

私なら子供にこんな事を言うと思います。「いやぁ~~大変だった。今まで頑張った。そろそろ親業は退職して楽になりたいもんだ。うへへへ~晩飯作ってくれ(笑)」とか子供の学費がいる時に「学費かよっ!あ~~せっかく旅行に行こうと思ってたのになぁ~~。」とかね。もう親じゃないぞ!ということを感じさせる事を、まるで冗談のように何度も言います。親子関係から、こんな発言がまかり通る関係へと変えていくわけです。

さて、親として最後に子供に与えたいもの・・・いろいろあると思いますが、子供がこの時期に置かれている状況から 【自信とそれを裏付ける実力】を是非身につけてもらいたいですねぇ。生物学的には大人でも社会的に子供という微妙で心もとない存在ですからね。

そうすると、我が子が何かに取り組み努力し負けずに立ち向かっていく事を 親としては願う事でしょう。もちろんまだ学生ですから、社会的な活動よりむしろ友人関係だとか学業だとかクラブ活動がその具体的な内容になると思います。例えば、我が子が学校で何かのスポーツ・・レスリング部に入っていたとしましょう。レスリングはルールのあるスポーツですけど格闘技ですからね。結構 根性が必要なスポーツですね。強い相手と対戦するのは恐ろしいですし、練習も厳しく苦しいものですからさぼりたいですね。さあ、そこに子供が立ち向かって行くためのモチベーションを与えるようというわけです。

そこで!とても親とは言えないような態度で子供にゲームを仕掛けていきます。ちょうど子供が勝てるゲームです。もし、その子が腕立て伏せを80回できるとしたら・・

・「うははは。知ってるぞ(笑)お前は根性なしだと知ってる(笑)明日証明してやるぞ。明日のクラブ活動で腕立て伏せは79回しか出来ない!あ~~絶対出来ない(笑)だって根性なしだもん(笑)」

試合の時は、ちょっと頑張れば勝てそうな相手と我が子が対戦する時を選んで、「ほほ~~あの選手はどこの子だ?強そうだな。お前が勝てるわけがない(笑)はい 負け~~~!うへへへへ~」このように"子供が親に勝てるゲーム"を挑むのです。こんなふうに言われた子供は、心の中で「勝ってやる(笑)」と思うことでしょう。

「81回 腕立て伏せやったぞ!どうだぁ~!」と言いたくなりますね。(そんな事を言われると子供がいじけちゃうなら、この方法はやってはいけませんよ。)勝つ!という心理的報酬がモチベーションになります。そして勝ち続ければ自信と実力がついてくる。そうなると、挑んでいく事が好きになったり精神面での強さへと通じていきます。 そのために 今よりもほんの少し頑張れば達成できるところを争点にしてゲームを挑む!というわけです。これは楽しくこんなゲームをやるということでなければ意味がないですよ。

我が子が勝てばゲームを挑んだ人間として「勝ちやがった!おかしいな。くそ~」と悔しがり、我が子が負ければゲームを挑んだ人間として大喜びすると良いでしょう。

そのためには、楽しくこんなゲームが出来る関係である必要があるわけです。勝ったのがうれしい!負けたのが悔しい!・・ささいな争点での、こんな気持ちがモチベーションとなります。次の試合で勝ちたいから頑張る!でも良いようなものです。むしろそれが理想です。

でもね、次の試合までの期間が永いとモチベーションが継続出来ないですからね。細切れに小さな勝負を入れておこうというわけです。それは、我が子がもつ大人としてのプライドの中で 親の意見ではなく自分の意思で実現していくための"刺激"を与える!ことになります。何度も何度も親とのゲームに勝って、勝ち癖がついてくると、もう親が何もしなくても勝手に頑張るようになります。決して「ここで頑張れないから いつまでもだめなんだ!お前は!」と説教することではありません。それをやると失敗しますよ。大切な事は、今すぐ理想の我が子になれ!ではなく小さい事を積み重ねることです。

これを読まれて「え~~そんな変なことをやるのかっ!」と思われた方もいらっしゃると思います。確かに、これは催眠療法のノウハウの応用ですから、一般的に見られるやり方ではありません。催眠を行う上でのコミュニケーション技術があり、それを応用した心理療法が催眠療法です。だから特殊な分野ともいえます。

「変わってるな(笑)」と思われるのも無理はありません。ただ、誰もがいずれ親という立場ではなくなります。我が子が40歳 50歳になれば、もう親の立場で物を言うよりも我が子の方がまるで親のようだったりしますからね。どの時点で親の立場を手放していくかという問題でもあります。いきなり全てを手放すのではなく、早いうちから少しずつ手放しても良いでしょう。・・・と考えると この親らしからぬやり方もそんなに変ではない?(笑)

ところで、近頃よく耳にする言葉でとても気になる事があります。お母さん方とお話をしていますと「当然、子育てには正解はないんだから・・・」と当然のごとくおっしゃる方がちらほらいらっしゃるのです。そんな危険な風潮が蔓延してるんじゃないかと危惧しております。子育てが難航していて精神的にも参っておられる方に、気持ちを楽にしていただこうという意図で誰かがそう言ったなら、その場面においてのみ適切なことと考えられます。

しかし、これが当然の事として蔓延すると より良い子育てを見い出そう!子育ても工夫しよう!という努力の否定!「子育てには正解はない」は言うまでもなく間違っています。もし子育てに正解がなければ、どの子育ても全て失敗することになりますからね。「子育ては難しいし苦労する。でも正解はある!」が正しいのです。

1.どんな親子関係で・・・・これが大変重要!
2.どんな状況の時・・・・状況によってやり方も変わる。
3.どんなやり方が正解か!・・・・という形で正解はあります。

都度 正解が変わるという複雑さなので、いっそのこと「正解がない」ということにしておきたい!という気持ちも手伝っているかもしれませんね。

ですから、ここでお話したやり方も親子関係と状況がそろわないと正解ではありませんよ。

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