大陸の花嫁

--後世にあの悲惨な戦争を語り継ぎ平和を願う81歳の女性--


以前SweetHeartのメルマガで連載許可を頂き大きな反響のあった「生かされて生き万緑の中に老ゆ」(NHK学園三十周年記念自分史文学賞大賞受賞作品)を、再編集して自費出版を続けておられましたが、ついに岩波現代文庫から出版されました。

井筒さんのHP(http://www.balloon.ne.jp/453room/)に出会ったのは、たまたま第二次世界大戦のことをネットで調べていた時でした。ネット上にはそう多くはありませんが、実際に戦争を体験した方々(もちろん、もうかなりの御高齢の方々です)が、手記を発表なさっており驚きました。南方戦線での惨状、シベリア厳寒での抑留生活の生々しい様子が書かれた手記の数々。その中でも、とりわけ、心を揺さぶられたのが井筒紀久枝さんという80歳の女性の手記でした。

数年前にNHKでもテレビ放映された、山崎豊子さんの「大地の子」でも、当時の開拓団の様子は、詳しく描かれていましたが、井筒さんの手記は実際に、そこにいらっしゃった方のものとして、また、幼い娘を抱えて必死に生き延びようと、故郷日本を目指して異国の地をさまよわれた母親の立場から書かれているため、ことさら共感を覚えます。最後のページを読み終わり本を閉じながら、平和の大切さを心から願いました。

一部引用

「満州国崩壊」より
・・・・敵国の真っただ中で祖国の敗戦を知った私たちの間で、いろいろな意見が飛び交い、自決組と自決反対組に分かれた。国民学校校長の坂根先生は自決組の先頭者で、教え子や義勇隊の女たちはそれに賛同した。生きて敵に辱めを受けるより、敵に殺されるより、自分の意思で命を絶とうと思ったからである。

 八月二十日、その日は清美の満一歳の誕生日だった。その短い命を詫びながら、その子にも白鉢巻きをさせた。午前十時、学校へ集まって坂根先生の銃で殺していただく、校舎には石油が撒かれ、最後に、先生が火を放つことになっていた。・・・・

「越冬、興隆開拓団」より

・・・・夜中に非常呼集があり、歩哨に出なければならず、後追いして泣く子にかまけていると、「子どもは処分してしまえッ、突き殺すぞッ」と追い立てられた。子どもに心を残して歩哨に立つ、といっても防寒靴が地に凍りつくので、足踏みしていなければならない。吐く息で防寒帽に氷柱がが下がった。足踏みしながら天を見上げた。天は下界に何が起きようと、月は晧々と輝き、星は満天にきらめいていた。この天の下に日本がある。故郷がある。許されなか
った恋を諦め、人を恨み、何もかも忘れたくて捨てて来た故郷が、無性に恋しかった。・・・・

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井筒さんの「戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和を願う」気持ちが半年前に無残にも引き裂かれてしまったことは本当に残念なことです。

以下は井筒さんの今年度初頭の言葉です。

(前略)「21世紀は戦争のない平和な世に」の願いを込めて完成させた戦争体験記。予想以上の大きな反響に、嬉しい悲鳴をあげていたのもつかの間。まさに、あの忌まわしい戦争の世紀に逆戻りするかのような世の動きに、無力感と脱力感を感じます。これからも生きている限り、平和を願い、戦争の愚かさを語り継いでいきたいと思います。

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