2009年1月アーカイブ

大惨事から生還する方法

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daisanji.gif先日、US Airwaysがハドソン川に不時着して乗客155人全員が助かったというニュースが耳目を集めましたが、最近のNEWS WEEK誌に、この事件と絡めて惨事における生存者に関する興味深い比率が出ていました。それは10-80-10という比率で、惨事の際に10%の人はリーダーとして他の人々を導こうとし、80%はリーダーに粛々と導かれて脱出し、残りの10%はパニックに陥り取るべきでない行動を取ってしまい生き残ることができない、というのです。

今回のUS Airwaysの全員生還の奇跡は、空軍出のベテラン・パイロットだからこそ成し得た偉業だとは思いますが、もしかしたら、他も報道されなかった10%のリーダー的ヒーローが乗客の中にいたのかもしれません。

以前、メルマガで書いた「大惨事から生還する方法」を掲載しておきます。

2005年「大惨事から生還する方法」TIME誌より
 ("How to Get Out Alive" by Amanda Ripley, TIME Magazine, Monday, Apr. 25, 2005)

<天災、人災による大災害が後を絶たない今日この頃、是非とも心に留めておきたいレポートだと思いました。>

運悪く不意の災害に見舞われた時、人の取る行動は三つのカテゴリーに分かれる。落ち着いて行動できる人は10~15%、我を失って泣き叫ぶ人は15%以下、残りの大多数は、ショック状態に陥り呆然として何もできない状態になってしまう。(Aviation,Space, and Environmental Mecicine誌で発表されたイギリスの心理学者ジョン・リーチの研究による)

National Institute of Standards and Technology(NIST)が9/11の生存者900人に行ったインタビューの結果から、飛行機衝突の衝撃後から避難を始めるまで平均6分かかっていたことがわかった。

人によっては30分も避難せずにいたのはなぜか?およそ1000人の人がコンピューターを消したり、身の回りのものを集めたり、知り合いに電話をしたりしていて逃げ遅れた。また、このような時こそ迅速に階段を駆け下りているはずなのに、ビルの外に出ることのできた約15,410人が、階段を一階分下りるのに1分もかかっていた。避難路を研究するエンジニアの予測の2倍かかっていたことになる。

事実、ビルの73階から生還したエリア・ゼデノさんは、「不思議なことに全然焦る気持ちが起こらなかった。ビルの揺れ方、音響からして、本当は焦りまくっていいはずなのに、まるで意図的に自分の心が音をシャットアウトしてしまったようだった。」と述べている。また、飛行機衝突の衝撃でビルが激しく南側に傾いてさえいたのに、すぐに避難しよういう本能的な衝動は起こらず、周りの人間も皆、今起こっていることが信じられないというような様子で避難行動を起こさなかったという。彼女の場合ラッキーだったのは、「何が起こったの?」と尋ねる彼女に、一人の同僚が「ビルから出ろ!」という叫び声が戻ってきたことだった。彼女は、ただその命令に従って避難を開始したのであって、あの時、その声が聞こえなかったら、自分でも今頃どうなっていたかわからないと語っている。

人の脳は一つの複雑な情報を処理するのに8~10秒かかるが、一度にあまりにたくさんの情報の洪水に遭った場合、本来なら脳の処理スピードを高めようとしてもいいはずなのに、あたかも車が低速ギアに切りかえた時のような状態になってしまう。それはなぜか?

食肉獣の餌食になろうしている動物は、無意識のうちに体が麻痺してしまう。そうすると食肉獣は、獲物が病気だと思って、リスクを避けるために放してしまうことがあるという。同様の行動がレイプの犠牲者にもあるという調査がある。つまり本能的な行動が緊急時の生存を却って脅かしてしまっていたのである。

1997年、離陸を待つパンナム機にオランダのKLM機が衝突、大炎上。KLM機の乗客583人は全員即死、パンナム機396人の乗客のうち326人が死亡し航空史上最悪の大惨事となった。後の調査によると、KLM機が衝突した後も多くの生存者がおりパンナム機が火炎に飲み込まれるまでの間に少なくとも60秒の猶予があったというのである。ところが、多くの人はショック状態で呆然となり、ただ座ったまま火に飲まれてしまった。生存者の一人であるフロイさんは、「(衝突の後)私の心は空白になり、何が起こっているのかさえ聞こえなかった。」と語っている。夫ポールさんの逃げろという言葉に引きづられるように煙の中を夫の後に続いたという。飛行機から飛び降りる直前に後ろを振り返ると友人が、ただ呆然と座っている姿が目に入ったという。

非常時によって、人が三つのカテゴリーの、どちらに入るかは、非常時でない普段のその人の行動からは予測できないという。それでは、本能を打ち消して冷静な行動を取れるようにするには、どうしたらいいのか?それは、普段から非常時のための心の地図を描いておくことである。

ちなみに、パンナム生存者の上記のポール氏は、こどもの頃、映画館で火事に遭った経験があり、それ以来、必ず不慣れな場所では避難路、避難口を確認していた。事故の当日も、離陸を待つ間、最寄の避難口をチェックして妻にも教えていたという。またTower1の49階から衝撃直後に避難を始め助かったマヌエルさんは、前年に自宅が火事になり、子どもの頃はペルーで大地震に遭遇、その後もロスで数回地震に遭った経験があった。

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大惨事から生還する方法2 2008年 TIMESより

2001年9月、飛行機がワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ日、ビルの最も大きなテナントであった証券会社モーガン・スタンレーの社員2,687人が災難を逃れました。

それはモーガンスタンレーのSecurity DirectorであるRick Rescorla氏おかげでした。

Resorla氏はベトナム戦争で数々の勲章を授与された人物で、優れた危機管理能力を身に着けていました。1988年にパンナム飛行機の爆弾事件があった後後、Resorla氏はビルのセキュリティーに対して不安を抱き、ビルの所有会社であるPort Authority of NYに安全対策のための企画書を提出していました。でも、それに対する管理会社側からの回答はありませんでした。

そこでResorla氏は、社員に本当に緊急の際にはPort Authorityの指示に従わないように指示し、自ら先頭に立ち、社員たちに頻繁に抜き打ち避難訓練を行っていました。

取引のために一秒も気を抜けない証券マンたちにも有無を言わせず電話を置きコンピューターを離れさせ訓練に参加させました。

そして911の朝。Resorla氏はタワー1が燃えているのを目にしました。Port Authorityからは、その場に待機するようにとの指示が来ました。しかし、Resorla氏はマイクロフォンと無線と携帯を手に全社員に即刻避難することを命じました。

全ての社員はどう動けばいいのかを把握していました。会社に証券取引の研修に消えていた250人の訪問者達もすぐ最寄の階段へ案内されました。

社員が避難している間、Rescorla氏は踊り場でスピーカーを手に落ち着いて行動するように指示し続けました。社員たちはまるで彼の言葉で魔法にかかったかのように静かに黙々と階段を折り続けました。

その合間にRexcorla氏は奥さんに電話をし「泣くんじゃない。皆を安全な場所に避難させなければならない。もし私に何か起きても、私がこれ以上の幸せはないと知っておいてほしい。」と告げました。彼は大多数のモーガン社員が避難したのを確認した後、取り残されている人がいないかを確認するために、もと来た階段を上っていきました。

モーガン社員の犠牲者は13人。その中の一人がRescorla氏でした。

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こちらも参考にしてみてください。

http://www.sweetnet.com/earthquake.htm

災害事の電話について、防災用品リスト、災害後の子ども精神的ショックを軽減するための手引きについて掲載しています。

NHKスペシャルでやっていた「女と男ー惹かれあう二人、すれ違う二人」が、とても面白かったので、要約してみます(要約と言っても長いですが)。

まず恋愛を脳科学の見地から解き明かします。激しく恋をしている男女の脳を調べると男女ともに同じ場所が活発に活動していました(恋愛中枢)。それは正に人に喜びや快感を感じされる神経伝達物質ドーパミンが作られる場所でした。

反対に恋愛中の男女の脳で、活動が低くなる場所もありました。それは物事を否定的に捉えたり、否定的な判断を行う場所です。「恋は盲目」と言うのも恋愛中は相手への批判能力が抑制されるからだったのです。

ところが、恋する男女の脳で活発に活動している部分に違う場所もありました。


男性の場合は視覚を司るエリアでした。世界各地で男性に好ましいと思う女性の体型を選んでもらったところ、世界共通で腰のくびれ(ウェストとヒップの比率)が7対10の体型が好まれました。その比率は女性が出産適齢期になると近づく体型の比率でした。何百年もの人類進化の過程で男性は、健康な赤ちゃんを産んでくれる女性かどうかを自分の目で見極めることが重要だったからだと考えられます。

女性の場合、活発になるエリアは記憶を司るエリアでした。人間は直立2足歩行を始めた結果、骨盤の形が変化し産道を大きくできないという制約が生じる一方、脳の発達とともに頭が大きくなったため、赤ん坊を未熟な状態で産まざるをえなくなりました。女性は、つきっきりで未熟な状態の赤ちゃんの世話をする間、男性には食料などを運んでもらったりするため最低3年は傍にいてもらう必要があり、それには男性がどれだけ頼りになるかを言葉で見分けなければならなかったために男性が発した言葉や行動などを記憶し、それを頼りに男性を見分けるようになったからと考えらています。(だから女性は男性の甘い言葉に弱いのかもしれません。)

哺乳類の中で、つがいで子育てをするのは3%しかいませんが、人間は、子育てをするために恋愛システムを進化させていったのだと考えられます。

しかし、、恋の中枢が活発に活動し、ドパーミンに脳があふれるのは長くて18ヶ月から3年という研究結果があります。それは人間の赤ちゃんが、とりあえず未熟な状態を脱するのが3年、狩猟採集社会では出産の間隔が4年ということを鑑みると、恋はこの間だけでも保たれるように進化したのかもしれないと考えられます。

先日、結婚掲示板で話題に上がった本 "The Seven Principles For Making Marriage Work"  「愛する二人別れる二人―結婚生活を成功させる七つの原則 」 (※ハンドルネーム・エッフェルさんが紹介してくださっていました。末尾にエッフェルさんの紹介文を転載しておきます。)。実は私も、もう何年も前に買って持ってはいたのですが、最初の10ページあたりで放り出していました。でも、結婚掲示板で話題になったのをきっかけに、また読もうかと地下室の本棚から出してきていたのですが、折りしも、この本の作者ジョン・ゴッドマン博士が、番組の中に登場して、とてもタイムリーでした。


ゴッドマン博士は、長年、夫婦関係の研究に取り組み、夫婦の会話をモニターし分析することで85%の確立で、その夫婦が近い将来離婚するか否かをあてることができるようになったというのです。

番組では実験ボランティアとして登場した危機を迎えている夫婦を追います。博士が別室でモニターを通して観察する前で、敢えて、夫婦はいつも喧嘩に発展する話題について会話を始めます。夫婦の指にはそれぞれ心拍数を計る機器も取り付けられています。

会話の出だしを見ただけで博士は、この二人の会話は口げんかに発展すると予測しました。そして実際に予測どおりになりました。

まず夫が妻のクレジットカードの多額の支払いについて批判的なものの言い方をします。(クレジットカードの支払いが来る度に、その多額に驚かされる。過去何度か君の多額のクレジットカードの支払いや税金の支払いを僕があわてて全部払ったよね。I don't wanna surprise like that.ウンヌン。)すると妻の顔は、即座に硬直し防御体制(自分の立場を守る体制)になります。あとは、お互いに批判、防御を繰り返した後、やがて夫が妻を見下した言い方をします。「クレジットカードをリボリング払いしないようにと言うことは誰でも知っている当たり前のことだよ。全ての専門家に聞いてごらん。」(誰もが知っている常識なのに妻だけが無知だと見下している。)

博士によると話し合いが泥沼化するコミュニケーションパターンとは、「批判、防御・・(批判、防御の繰り返し)・・・・、繰り返しの果てに見下し発言、不毛な口げんかへ発展」だそうです。(上記夫婦の場合、もし、会話の最初に夫が批判的な言い方でなく、「月末に多額の支払いが来るのではないかと不安に思っているんだ。」というように、気持ちを批判の形でなく告げるだけであったら、会話の展開は違っていたと言います。)

このような会話パターンが繰り返されると夫婦は、やがて、お互いを避けるようになり離婚へ発展する、正に典型的パターンそうです。

心拍数を見てみると、二人の心拍数は会話を始める前は70前後ですが夫の心拍数は会話が進むとともに100を越え大きなストレスを示します。ところが、妻の心拍数はほとんど変わりません。

これは進化の段階で、男性は狩猟などで刻一刻と変わる環境の中、危険にさらされる機会が多いため、警戒心を維持し、危険に俊敏に対応できるために、心拍数や血圧がが上がり、いつでも攻撃態勢に入れるように発達していったため、一方、女性は母乳を与え、子どもを育てるためのホルモンの関係で気持ちを落ち着かせる能力が高いためと考えられています。

会話において、男性は批判を攻撃と受け止めるため、心拍数が上がるのです。

この夫婦の会話は、最終的に夫が、心拍数が105あたりを越え、狩で言うと戦闘モードに入ろうする心拍数に達すると同時に、「これ以上、話ても仕方ない。」とカメラに手で合図をして会話を一方的に打ち切ります。このような行動も非常に典型的な男性の行動パターンです。会話を一方的に打ち切る85%は男性。男性は、心拍数の限界に達してしまうと、衝突を回避しようとするからです。

進化で獲得した、このような男女の特徴が、現代社会の夫婦においては、夫婦の亀裂を生む原因になってしまっているというわけです。

このパターン、正に、私と夫の会話パターンにも当てはまります。見ていて深く深く納得してしまいました。夫は正に狩猟型・原人的性格、非常時にこそ、大活躍できるタイプの人間です。多くの人がフリーズしてしまう場面でも、すばやく対応できる人だと思います。元々は、そんな力強い部分、リーダシップのある「男の中の男」的な部分に惚れたわけですが、そのような狩猟型・原人的性格は、夫婦の日常の平和なコミュニケーションにとっては、障害だったわけです。

男女関係の障害となることが二つあります。 
○男性が女性の気持ちを読み違えててしまう
○会話に対する男の女の違いー男性は解決する問題がないときは夫婦の会話に積極的でない

女性と男性のコミュニケーションの仕方の差も人類の進化に由来すると考えられています。女性は共同での採取生活や子育てなどの中で部族の他の仲間との会話を通して絆を深めることが大切だったため、他人の表情を読む能力がより進化しましたが、男性は、狩などで刻々と変わる情況に対応し、問題を解決するために会話は使われてきたました。実際に研究結果から男性は相手の表情から気持ちを読む能力に劣っていることがわかってます。

博士によると、このような夫婦の悪循環会話パターンを変え、平穏な結婚生活を長く続けていくには、男性側が、女性のニーズを察知する努力をしてコミュニケーションの仕方を変えるのが一番だとゴッドマン博士は提言しています。番組の最後の方では、夫婦が専門家の下で会話の方法を学ぶ姿が映し出されます。夫婦二人が向き合って模擬会話を進める内に、妻の話に対して、すぐに分析したり批判したりしようとする夫にカウンセラーが注意を促していました。

結婚生活の入門書だと私が思う "MEN ARE FROM MARS,WOMEN ARE FROM VENUS"  「ベスト・パ-トナ-になるために--分かち愛の心理学」を書いたジョン・グレイ氏も、同様に、そもそも男性と女性の思考回路が違うことを指摘していました。

私と夫も、結婚して数年目に危機が訪れた時に、友人に薦められてこの本を読み、講演会のビデオまで見て随分と学びました。最も、役に立ったのがReportとRapport(ラポア)という言葉でした。簡単に言うと、男性が話す時はReport=報告するためや、問題があるなら解決するために、何か目的をもって会話をしようとする。でも女性は、Rapport=調和のために、つまり感情的につながるために会話をしようとする、ということです。

たとえば、それまで、私は夫が私の話を聞いているのかいないのか相槌をあまり打たないこと、私が話していると、すぐに"What is your point?"「会話の要点は何?」と話の腰を折って聞いたり、"What do you want me to do?"と怒ったように言ったりすること、夫にただ話しに耳を傾け同調して欲しいだけなのに、すぐに解決策を示そうとしたりすることなどに不満に思っていました。でも、そのような夫の会話パターンが実は典型的な男性の行動なのだと、この本を読んでわかり、いちいち夫の反応に失望しないようになりました。

夫は夫で、私がなぜ余り要点を得ない話をするのか、解決策を示しているのに妻はなぜ不満気なのか、などを理解でき、ただ私の話に耳を傾け、適当な場所で相槌を打つことを学びました。


それから何年も経った今でも、私が夫に話しかけると、たまに夫は「君はReportしたいの?Rapportしたいの?」と聞いてきます。そしてRapportだと私が言うと(いちいち聞かなくても大抵の場合Rapportなのですけど)、解決策を話したくてウズウズする気持ちを抑えて、黙って耳を傾けるようにする時があります。

何かの雑誌に、一番うまく行く男女の組み合わせは、「女性のような男性と女性らしい女性」、一番うまく行かないのが「男性らしい男性と、男性っぽい女性」とありました。命がけで狩をすることのない現代社会においては、何百万年もかけて培かってきた男性的能力は、無用の長物とは言わないまでも、近代の特に平和な社会での男女関係には、大きな障害になっているようです。

実に男と女は難しいです。

また、"The Seven Principles For Making Marriage Work"を読んでから本の感想など書きたいと思います。
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結婚を後悔した時に読むお勧めの本 by エッフェル
(SweetHeart「結婚生活なんでも掲示板」の書き込みから・・・エッフェルさん、勝手ながらこちらにも引用させていただきます。)

後悔したときに、やり直すために努力しようと思うから本をお読みになるのですね。私も同じです。とある本に出会って、希望の光を見出しましたが、現実はまだ茨の道です!でも読んでみてよかったと思うので、図書館か本屋で探してみてください。和訳もあります。

The Seven Principles for Making Marriage Work: A Practical Guide from the Country's Foremost Relationship Expert (Hardcover)
by John Gottman (Author), Nan Silver (Author)

愛する二人別れる二人―結婚生活を成功させる七つの原則
ジョン・M. ゴットマン (著), ナン シルバー (著)

ちなみにこの本は、イラクに駐留しているアメリカ兵向けのマリッジカウンセリングにも使われているそうです。リンク先がメインテナンスでダウンしているみたいなので、うろ覚え詳細を書くと。。。

現在イラクに駐留しているアメリカ兵は配偶者との関係が上手くいかなくてカウンセリングを受けている。離婚率は七割近かったと思います。そして離婚やその手続き中に欝になり自殺する兵士もいる。カウンセリングを担当しているチャプレンが、この本を導入したところ希望者が続々と増えている。そのためほんの寄付を募って、この本をイラクに送っているそうです。アメリカにいる配偶者にも同じ本を同時に読み勧めてもらい、課題などを一緒に(別々ですが)取り組んでカウンセリングに役立てているそうです。

効果のほどは数に出ていないので分かりませんが、それだけ多くの兵士が結婚の危機に直面しているということです。(戦争についてはそれぞれ異なる意見があると思いますが、こういう例もあるということでご紹介しています。)

この本は一度読んでおしまいではなく、時々引っ張り出して来ては読み返すのが良いですよ。私も頻繁にお世話になっています。この本が必要ないカップルが羨ましいと思います(笑)

我が家は嫌がる夫に対して無理やり朗読していましたが、夫もそれなりに情報を拾って役立てています。皆さんからもっと情報が寄せられて、良い本に巡りあえると良いですね。

michi.jpg橋をかける―子供時代の読書の思い出

皇后美智子さまの1998年インドのニューデリーで行われた国際児童図書評議会基調講演の内容を収録した本です。


第二次世界大戦中、疎開先にお父様が持ってきてくれた数少ない本から多くのことを学んだ美智子様の大変率直なご意見が語られています。美智子様というと、なにやら大変遠い存在のような気がしていましたが、大変思慮深い一人の女の子だった美智子様の様子や、一人の読み聞かせをされる母親としてのありようが、すんなりと伝わってきました。

特に、スピーチの最後の言葉は美智子様の人柄を写すようで印象的でしたので、その部分のみ引用します。

「自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったと言うことを控えるべきかもしれません。

しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛躍する翼をととのえさせます。

悲しみの多いこの世を子供が行き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。」

随分前になりますが、プリンストンに滞在中の大江健三郎氏が日本語学校に講演に来てくださったことがありました。その講演の中で、戦時中、鬼畜米兵という言葉を鵜呑みにする息子のために、母親が自分の着物を売って、当時は大変入手が困難だった敵国アメリカの本「ハックルベリーの冒険」をバスなどを乗り継いで数日かかって手に入れてくださったという話をしていました。その本を読んで大江さんはアメリカ人も同じ人間だということを悟ったということですが、子供時代の読書の意味は実に大きいものだと美智子様の本を読んで改めて思いました。

「橋をかける」は日本語と英語で収録されてあります。また講演の中で美智子様が触れた本の目録も網羅してあります。 

iru.jpg既に2005年から大人気のグループのようですが、私は昨日まで全然知りませんでした。

Il Divo(イルディーヴォ)。渋くアルマーニを着こなした大人の魅力にあふれた4人のイケメンオペラ系歌手のグループで、あのアメリカン・アイドルの辛口コメンテーターサイモンが世界中からオーディションで集めた4人をプロデュースして作ったんだそうです。

私は、車の移動の時はラジオでスパニッシュチャンネルを聞くのが好きなのです(一言も理解できないんですが、)イルディーヴォの曲は正に私の好きなロマンチックなスペイン系の曲も多く、完全にズギューンとハートを射抜かれました。

 

中でも感動的な"アダージョ"

 

ushii.gif新年明けましておめでとうございます。二〇〇九年今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今回は新年にふさわしいインスピレーションに富んだ友人のエッセイを掲載します。

かつてSweetHeartの会報版を一緒に立ち上げた久保淑子さんから届いたエッセイです。久保さんはシングルマザー。ホームスクールで育てているお嬢さん二人を連れて数年前にカナダのバンクーバーで暮らし始めました。そして、彼の地で出会った男性と結婚。

そんな実行派で怖いもの知らずの彼女が最近、「この人に付いて行こう」と思える79歳のフラワーデザイナーのお師匠さんに出会いました。(ちなみに久保さんは花の経験はゼロ。)

「淑子さん。美しくおなりなさい。」
「貧しくても心はいつも貴族でいなさい。」

という数々の名言を口にする波乱万丈な人生を送った魅力的なお師匠様との出会いのお話です。

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お師匠様はフラワーデザイナー

<韓国人の同僚の家を訪問>

8月の誕生日で1世紀の半分の折り返し地点に立ちました。2月から働き始めたお土産屋さんが9月末に店じまいとなったことから、仕事探しを始めました。そのときに思ったのが、これからの人生、美しいことにかかわる仕事をしたい!候補は、絵画、花、写真~。でも何をどう始めたらいいのか見当もつかない。どうしよう??

そんなある日、同僚の韓国人主婦が、「来月、韓国に帰国するのでマンションを売るから遊びに来てね。」と誘ってくれました。出会ってからまだ数度、でも、肝っ玉母さんみたいでとても気さくな彼女だったので、帰国すると聞いてショック。でも気を取り直して彼女の家へ行きました。すると、「実は、母が一軒家に住んでいるんだけど、そこも売りに出しているの。見に行きませんか?」と再度のお誘い。行けば、そこは山の上の高級住宅地。79歳のお母さんは、日本なら4階建てに匹敵する居間の中にバルコニーがある大邸宅にたった一人で住んでいました。

内装も調度品も極上品で、家のあちこちにスケールの大きな花が飾られていました。聞けば、フラワーデザイナーとのこと。

子ども時代に韓国で日本人学校に通っていたことから、日本語が話せるお母さんは、こう話してくれました。

「もしフラワーデザインを習いたければ教えてあげましょうただし、私も本気で教えるので厳しいですよ。私の弟子達は頭痛薬を飲みながら習っていたぐらいです。」

フラワーデザインは面白そうですが、薬が必要と聞いて、なら受けたくないと思いました。でも、同僚にお試しレッスンを勧められ、その後、長女と、同僚の若い日本人の女の子を誘ってコサージュ作りに参加あしました。

コサージュ作りは初体験で面白かったですでも、なぜか韓国の歴史や政治についてかなり重々しく、かつ何度も繰り返し同じ話を聞かされ、全員、当惑。それで、誰もが今回これっきりで終わりと思っていました。ところが、思い込みの強いお母さん=先生は、

「お花の好きな人なら、フラワーデザイナーになれます。私はこれからあなたたちを立派なフラワーデザイナーに育てます!」

長女は、さっさと降りてしまいましたが、優柔不断な私と、お花に興味のあった同僚は、そのあと続けることになってしまいました。

 

<優雅な少女時代、苛酷な18歳時代、その後の遍歴>

先生は、百済の貴族の大富豪家で誕生。百済は、その昔、韓国の芸術の中心地で、日本にもたくさんの技術者が来て大きな影響を与えたそうです。

小学校の頃のニックネームは、座布団。彼女が椅子に座ろうとする度に、お抱え座布団係が飛んで来て、さっとお尻と椅子の間に座布団を差し入れたからだそうです。

第二次世界大戦前の韓国は貧しく、靴もない、お弁当もない子ども達の間で、毎日、お弁当持参の彼女は、ひどいいじめにあい、学校へ行くのが辛かったとのこと。

18歳の時、大金を積んでアメリカ留学に行く予定でしたが、(当時の韓国では異例のケース)あと一ヶ月というときに、国内でクーデターが発生。真夜中、寝ていると、突然、部屋に男たちが乱入し、牢屋に連れて行かれ、コンクリートの上に正座させられ、殴られ、監禁されてしまいます。その後、建国の父である大統領の写真を脚で踏みつけるように命令され、果敢にも拒否。すると、海岸へ連れ出され、喉元に銃を突きつけられます。

「私たちの国を作った父をあざむくことはできません。どうぞ殺してください。」

幸いにも難を逃れますが、その後、何年も山の中に隠れ住む苛酷な時を過ごします。

何年かたち、やっと日の当たる生活が送れるようになり、韓国ではトップの大学の政治学科に入学。そして結婚。相手は、大物政治家で、国会の議長で次期大統領との声もありました。ところが、またクーデターが発生。夫は東国sあれ、大富豪だった彼女は、一夜にして平民の生活に激落。いままでお抱え運転手付き、秘書数名、女中5,6人という生活で、現金も扱ったことがなかったのに、いきなりバスで移動することになり、ものすごく戸惑ったそうです。

その後、日本にお花留学。物心つく前から好きだったお花の技術に磨きをかけ、韓国の女性たちに教えれば、その女性たちがアメリカに行き、花やで働けば、そのお金を祖国韓国に送ることが可能に違いない。そうすれば、韓国は少しでも貧困生活から脱出できる。そんな使命感を心の中に強く持ったそうです。そのあとは、家3軒を売り花修業。まわりからは、金持ちの奥さんの道楽と言われ、屈辱感にさいなまれます。

その後、アメリカ、イギリス、ドイツ、オーストラリアと各国を回って修業し、韓国に帰国。40歳代ぐらいのときに、名門ホテルとデパートのロッテが、施設内をフラワーデザインで飾ることに決め、韓国中のフラワーデザイナーの履歴書を集めます。そして選ばれたのが彼女。仕事で大成功をおさめ、韓国フラワー産業の生みの親となります。世界フラワーデザイン展覧かでは、国際審判として誰も試みないという最も無図化しデザインに挑戦し、拍手喝采を浴びます。

60歳のときに、苦労を強いられてきた韓国を去り、カナダへ移民。数年後に、今回訪ねた大邸宅を自分でデザイン。当時は、山には彼女の家しかなかったそうですが、夜、ひとりで山の頂上に立ち、神様に「(もう2度と韓国に生まれたくない。だから)どうぞ、私の種を(将来)韓国に蒔かないでください。」と、お願いして号泣したそうです。

カナダに移民直後、お金のことには無知だったことから、同じ韓国人に騙されて、3億をフイにしてしまいます。裁判で訴えたけれど、相手が計画的に自己破産したため一文も戻ってこず、そのあとは、人が怖くなり、友達もつくらず家にこもり続け、19年という長い月日が流れます。

ところがある日、カナダに来て、弟子をひとりも育てずこのまま朽ち果てるのかと思ったとき、それではだめだと気がつき、立ち上がろうとしました。そんなとき、私の同僚である娘さんを通して私たちは出会ったのです。

これってとても運命的な出会い!先生との出会いのきっかけになった娘である私の同僚は大金持ちのお嬢様で、他人のしたで働いたことはありません。お土産屋さんで働きはじめたのは、夏前、たまたま先生が目の手術をするためにダウンタウンに来たとき、時間をもてあましてお土産屋にフラッと寄ったのがきっかけ。

先生は、貴族の娘が「働いていた」ことが韓国に知れ渡ったら自分の名誉にかかわると大喧嘩して大反対。でも、食道楽の娘は、店のスモークサーモンに惹かれたとのこと。働く経験をしてみたかったという好奇心で、働き始めてしまいます。そして、そのとき出会った私のことを、「お母さんと気が合いそう」と、太鼓判を押してくれたのです。

<エピソード集>

どんなに厳しい先生かと覚悟していましたが、愛情ある厳しさで、私たちふたりの相性は良く、授業を楽しく受けています。

○小柄で、きびきび動く先生。23歳のときに韓国で、お抱え運転手に習って運転技術を取得。バンクーバーでは、特注のゴールドの模様が入った大型クラッシックカーの伽出ラックを乗り回している。

○先日、一緒にでかけたときのこと。助手席は荷物がいっぱいなので、わたしは後部席に座っていた。発車直後、先生がいきなり助手席に置いたカバンに手を突っ込んで何かを探し始めた。


先生「あら~。わたしの眼鏡、どこに行ってしまったのかしら。」
私「先生!運転しながら眼鏡を探さないでください!ヒャー!両手をカバンの中に入れたらダメです。キャー、ぶつかる!!」(あと10cmで駐車中の車にぶつかりそうだったのを急ハンドルで回避)
先生「でもね、眼鏡がないと見えないのよ。」
私「先生!車を止めて探してください。キャ!対向車が!!」
先生「ああ、あったあった。私ね、音楽を聴いて運転するのがすきなの。人間は、目が楽しい、耳が楽しい、鼻(香り)が楽しい、口(食事)が楽しくなければダメよ。
選曲は若い子向けのポップミュージック。ガンガン音楽が鳴り響くキャデラックの高級皮のシートの中で、私は緊張しながら安全運転を祈っていた。

○クラスの後、迎に来た夫の車で、先生の車に案内されて、クラフトショップへ行った。ところが先生の運転は、遊園地のミニジェットコースター並み。


夫「同じスピードで走ったら、スピード違反の切符を取られるよ。ああ、いなくなってしまったよ!」
なんとか見当をつけてクラフトショップに着くと、先生が車から降りてきて、
先生「後ろを見たら、あなたたちの車がいなくて、どーしようかと心配したわ。」
私「夫、先生の運転の速さに驚いていましたよ。」
先生「あら~。でもちゃんと制限速度内だったわよ。」(15キロはオーバーしている)私、家を出るときに慌てて眼鏡を忘れてきたの。夜だとよく見えないから緊張しながら運転したわ。」

先生「韓国にいたとき、テレビでフラワーデザイン教室をしたの。そしたら、生徒さんのご主人が、私の美しさに見とれて、お花どころじゃなかったんですって。」

実際先生の若かった頃の写真を見ると、美人コンテストに出たら楽勝間違いなしのカリスマ美貌。堂々と美人宣言するが、事実なだけに憎めない。

○先生の講座のアシスタントを半日務めた日。「疲れたわよね。大変だったでしょ。」と言いながら食事をご馳走してくれた。79歳の先生にそういわれて、誠に恐縮。そのあと、「ちょっと待ってね。」と言って、私を地下の駐車場の車の中に置き去りにしたまま、どこかへ行ってしまった。なかなか帰ってこないので心配していたら、私のために、わざわざ韓国のお団子を買いに行ってくれたのだった。感激。

先生「よしこさん、幸せにおなりなさい。」

レッスンの度に心から何度もこの言葉をかけてくれる。ご自分が、超セレブとどん底の間を何度も行き来したことから、自分の弟子が幸せになるのを、心底いつでも祈ってくれている。

先生「韓国にたとき、いつも不幸な人達が私の周りに集まってくるの。ある女性は、夫を愛人に取られてしまい、ショックでいつでも自殺できるように薬を持ち歩いていたわ。だから彼女に言ったの。今すぐ、アメリカへ観光ビザで行きなさいって。」
生徒「でも、先生。私、英語ができません。」
先生「英語はどうでもよい。アメリカへ行ったら、まっすぐ花屋へ行きなさい。そして、いままで習ったことを見てもらいなさい。そうしたら、あなたを雇ってくれます。」
先生の言葉をひたすら信じ、その女性はフラワーデザイン用の道具を持って渡米。人は募集していなかったけれど、ある花屋でフラワーアレンジを見せると、すぐに雇用され、その後は、素敵な男性と出会って結婚し、移民することができた。
先生「私と出会った女性は、必ず幸せになります。淑子さん、あなたもよ。」

先生「貧しくても、心はいつも貴族でいなさい。」
先生「いつでも美しくしていなさい。私と一緒にいれば、あなたもだんだん美しくなるわよ。」

ファッション雑誌から抜け出してきたような美しい服をいつも着ている先生は、見ているだけでも楽しい。色白の肌は79歳なのに50歳台並。特に手入れはしていないというからすごい。一方、すでに1ヶ月一緒にいる私の姿かたちは、申し訳ないことにまったく進歩が見られない。(夫の古着がワードローブの私。いきなりオシャレになるようにと言われてもかなり無理がある。)フラワーデザインで稼げるようになったら、服を新調しなくては。でもいつの日やら。


ある日、普段、着ない服を売ることにした先生。


先生「気に入った服があれば、優先的に売ってあげるわ。」
私「嬉しい!」
あとで聞いたら、イギリスで購入したバーバリーのコートとマンとセットは、30万円だそう。90%割引でも買えない!

先生「政治は人を裏切る。でも、花は決して人を裏切りません。」
先生「人生の中で、尊敬できる師匠をひとりでも持つということは幸せなことです。」ここまで言い切られても、先生は可愛いと思えてしまうのは、人徳か。


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先生の名言集:
「美しくおなりなさい。」
「いつでも美しくしていなさい。」
「幸せになりなさい。」
「貧しくても心はいつも貴族でいなさい。」
「人間は、目が楽しい、耳が楽しい、、鼻が楽しい、口が楽しくなければダメよ。」
「政治は人を裏切る。でも、花は決して人を裏切りません。」
「人生の中で尊敬できる師匠をひとりでも持つということは幸せなことです。」

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