2008年9月アーカイブ

焼き場に立つ少年

| コメント(3) | トラックバック(0)

yakeato.jpg原爆投下後の長崎の焼け野原で、直立不動で唇を血がにじむほどに噛み締め、背中におぶった弟の火葬を待つ少年。NHK特集「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」で私は初めてこの写真のことを知りました。とても心を揺さぶられる番組でした。

この写真を撮影したのは元アメリカ海兵隊員のジョー・オダネル氏。真珠湾攻撃の後、日本への憎しみから19歳で軍に志願したオダネル氏は、長崎への原爆投下の1ヶ月後に、記録班として長崎のグラウンド・ゼロでの撮影を始めます。軍からは、許可なく人物の撮影をしてはならない、との命が下されていましたが、オダネル氏は、その凄惨な光景に衝撃を受け、親を亡くした子ども達の姿や瓦礫の山となった町の姿を写真におさめ始めます。

そして、それらの写真を秘密裏に母国アメリカに持ち帰りますが、長崎で目にした光景が胸を離れず、悪夢にうなされ続けます。また、何よりも「アメリカはこの行為を正当化できるのか」という思いに、さいなまれ続けます。そしてある日、苦しみから逃れるため全ての写真をトランクに収め封印してしまいます。

その後、オダネル氏は結婚をし一男一女にも恵まれ、アメリカ情報局に勤め大統領の専属カメラマンとして幸せな日々を過ごしますが、ある日、教会で目にした原爆反対を訴えるために作られた、被爆者の写真を貼り付けたキリスト像に出会い、43年の封印を解き、写真を公開する決心をします。

ところが、写真の公開は各地で断られ、出版の依頼をした35社全ての出版社にも断られ、ようやく漕ぎ着けたスミソニアン美術館での展示も直前に退役軍人らの激しい反対に会い中止となります。さらにオダネル氏の家には日増しにいやがらせの電話や手紙が来るようになり、妻までもが彼の元を去って行きます。

それでもオダネル氏はあきらめることなく、「私の投げた一石が、小さな波紋を作りやがて、それが世界へと広がってゆく」との信念で、自らも原爆後遺症に体をさいなまれながらも活動を続けます。

オダネル氏は去年、奇しくも長崎原爆投下と同じ日に亡くなり、現在、彼の遺志は息子Tyge O'Donnell氏へと引き継がれています。

是非とも英訳をつけてオンラインでも流して、アメリカ人に、そして世界の人にも見てもらいたい素晴らしいドキュメンタリーでした。

息子さんが公開したオダネル氏の残した写真のスライドです。
http://www.flickr.com/photos/thephoenixventure/

上から二番目真ん中の写真の背中の焼け爛れた少年。この少年は一命を取りとめ、後にオダネル氏と再会を果たします。。

死んだ弟を背負う少年にはオダネル氏は特別の思い入れがあり、探し続けたそうですが、ついに見つかりませんでした。

上から二番目、右端の3人の子どもの写真。オダネル氏がリンゴを差し出すと、手からもぎ取るように取るほど飢えていたのに、3人でリンゴを分け合い、芯まで全て食べつくしたそうです。

去年オダネル氏の息子さんが発見したオダネル氏がテープに残していた回想録の一部です。

このドキュメンタリーを見た後に、私が気になったのは、戦争孤児たちのその後です(広島だけでも戦争孤児は2,000とも6,000とも言われ特定されていないそうです。)。特に広島、長崎、東京など都市部の子ども達は空襲を避けて疎開していたために、一族全滅で子ども達だけが残されてしまった場合も非常に多かったそうです。残された子どもたちは、恐らく想像を絶する苦難の道を歩んだものと思います。

http://www.kamatatokyo.com/gen/dna/
こちらに、「はだしのゲン」からの抜粋がありますが、孤児たちはヤクザの餌食になる子も多かったようです。

最近のブログ記事

最近のコメント