2009年5月アーカイブ

cake.jpgセラピーがそろそろ終わりに近づいた時、ある患者さんが前夜みた夢の話をしました。

患者:「結構恐かった夢なんですけれど、誰か恐い人にプールに投げ込まれるんです。我に戻って、水から頭を出してみると、彼がまだそこに立っているではないですか。そこには戻れないと思って、プールの反対側にたどり着こうと、必死で泳ぐんです。急いでいるせいか、なかなか着かないのです。途中で足を引っ張られるような感じもしました。何でもいいから泳ぎ通して端までつき夢中でプールから上がりました。雰囲気が一変して、今度は皆に囲まれて誕生日のケーキみたいなのを食べているのです。」

私:「どうやら過去はたいへんだったでしょうけれど、長い道のりを経て、皆に祝福されてよかったですね。誕生日のケーキというくらいですから、生まれ変わったかのように、再出発で未来が明るいといいですね。」

患者:「感謝の気持ちは忘れてはいけないですね。皆もサポートしてくれたし、私の上司も恐いところはあるのですが、いい人だと思いますよ。今度の仕事は、ストレスをうまくハンドルして、問題を起こさないようにがんばろうと思います。」

この人は、職場での問題で、上司に言われてセラピーに訪れました。夢の中の恐い人というのは、彼の上司のことでしょう。その人にプールに投げ込まれるかのように、セラピーに投げ込まれたわけです。

このような状況でセラピーを始めたということは、夢の中の恐い人とは、セラピストである私自身であると言ってもよいでしょう。セラうピストと上司が合体したイメージが、彼の問題について追求していくという印象があっても不思議ではありません。もちろん彼の方としては、必死で逃げようとするに違いありません。

セラピーは長い道のりでした。行っても、行ってもなかなかゴールにたどり着けません。途中で後ずさりするようなことも起こりました。でも、彼は諦めませんでした。この様子が夢の中では彼が必死に泳いでプールの向こう側にたどり着こうとしていることで、現しているのでしょう。

セラピーの中で彼なりに成長をし、問題も消えていって、私が彼に「よくやった」と褒めることがありました。誕生日のケーキがそれに匹敵するのだと思います。このときまでにはもちろんセラピストは、以前彼が想像したような恐い存在ではありません。ですから夢の中での雰囲気もいっぺんしました。

この患者さんの夢を、彼にそのまま分析し解説してもよいのですが、それだけではあまり芸がありませんから、私自身夢に加わって、夢の発展を続けたら、もっと将来に向かって動きがあると思います。ですから誕生日を生まれ変わりと理解し、「再出発で明るい未来へ」と付け加えました。

それに対しての患者さんの反応は:「感謝の気持ちは忘れてはいけないですね。あなたはサポートしてくれたし、恐いと最初は思いまいしたが、いい人だと思いますよ。セラピーの後は、ストレスをうまくハンドルして、問題を起こさないようにがんばろうと思います。」とオリジナルをちょっとねじって理解して、彼の職場での人間関係と、彼とセラピストの関係をだぶらせてもよいと思います。

夢の理解の仕方は様々ありますが、その人の心の内容がある話の筋を使って表現されると言ってよいでしょう。いくつかみた夢の中で、セラピストが夢に含まれたものを、無意識のうちに選択し、それをセラピストに報告するということは、面白い事ではないでしょうか。特に私の誕生日がもうすぐであるということを彼は知っていたのしょうか。