2007年3月アーカイブ

正真正銘な自分

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心の健康の目安の一つとして、正真正銘な自分というのがあります。これは、自分の気持ちや考えが素直に表面に出る、または、相手に伝わるということです。確かに自分の考えや気持ちを、そのまま誰にでも言えたら、簡単でしょうし、気持ちもよいでしょうし、心を健康に保つことができることでしょう。

しかし、現実はそう簡単にはいきません。自分の考えや気持ちをすきに出していたら、相手を傷つけたり、怒られたり、嫌われたりすると思って、なかなかできるものではありません。ですから、皆、自分の気持ちや考えを直接出さないで、人付き合いをやっていきます。

赤ちゃんは自分の表現を、惑わされないでします。赤ちゃんは、欲求やニーズのかたまりであるかのごとく、楽しければ笑うし、痛ければ泣くし、お腹がすけば叫ぶし、好きなように、好きなときに自分の状態を表現します。母親がそれに対して、適当に反応してくれますから、問題にはなりません。でも、この状態は長い間続きません。母親は、子供が好き勝手をしていたら、将来社会でやっていけないのを解っていますから、少しずつ子供に教え込んでいきます。その過程で、子供は自分の気持ちを抑えるようになりますし、考えを隠したり、場合によっては、ある情報を隠すために、嘘をついたりします。

こうしていくうちに、子供は自分勝手な表現はしなくなるのですが、その反面、自分という存在が抑圧されるようになってしまいます。結果として欲求不満になったり、挙句の果ては、落ち込んだりし、そのようになる要因を受け入れてしまったりします。親が極端に厳しくて、子供を規則正しく育てると同時に、子供の気持ちが無視された状態になってしまいますと、子供の自己というものが無くなってしまい、回りに合わせるだけが大切になる、ある意味、ロボット的な人になってしまいます。

この、自分が圧迫された状態や自分が忘れられた状態が、いろいろな精神的問題となって症状化し、ある人は不安症、ある人はうつ病、ある人は対人恐怖症、ある人はパニック障害となって、クリニックに治療を求めるようになります。症状は人それぞれ違うのですが、みな共通していることは、人前で自分が失われていることです。人前にでますと、相手に合わせることだけに気を使い、自分の気持ちや考えが消えてしまいます。だからといって、自分の気持ちが無くなってしまったわけではなく、一時的に無意識になってしまうのです。ひとりになると、また、自分の気持ちが戻ってきて、あの時自分がどう感じていたか、思い出すことができます。でも、中には、もっと重症の人で、自分の気持ちがよみがえってくる代わりに、あの時、自分がいかに相手に合わせられなかったと、心配する人もいます。

この心理的状態はたいへんですから、やはり、人前でも自分の表現をできるようにならなければなりません。しかし、赤ちゃんのように、ただ自分の主張をするのであれば、怒られたり、嫌われたりしますから、自分を上手に表現しなければなりません。そのやりかたは、自分を正確に表現すると同時に、相手の立場を考慮に入れるというわけです。よい自己の表現は、自分の気持ちと相手の気持ちを統合した表現であるわけです。

このようなプロセスは、セラピーでよく見られることです。最初は、自分のことを表現することが恐い状態の人が、徐々に、自分を出してきます。そして自分を出し過ぎて、自分勝手になったりします。そうしますと、相手のこと(セラピスト)を心配して、自分を抑えたりしながら、調整が起こります。そうしているうちに、自分と相手との統合がだんだんできるようになっていきます。すなわち、自分を肯定しながら、相手のことも無視をしない表現が出てくるようになります。

赤ちゃんの状態から、最後の状態に至るまでのプロセスは、人間の心の発達上、必然的なもののように思えます。第一段階の自己主張時期、第二段階の社会性時期、そして第三段階の統合の時期。正真正銘な自分とは、実は自分の事だけでなく、相手があってこそ存在する、自分の表現であるわけです。

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