2009年6月アーカイブ

子どもらしく育つ

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子どもが生まれる。ミルク、おむつと大忙し。その頃は早く自分で食べられるようにならないだろうか、早くおむつがとれないだろうかと母親は子どもの成長を急ぐ。目が離せない頃はパソコンに座る時間もない、仕事に戻りたいと早く子どもが大きくならないかと母親同士で会話する。そして幼稚園の送り迎え、早くこの送り迎えから開放されたいと母親は嘆く。高校生の時期のお弁当作り。いつこのお弁当作りから開放されるのだろうかと毎朝のように思っている。心配ばかりかけるティーネージャーの頃、親は早く子どもが家を出ることに思い巡らす。

いったいなんのために子どもをもうけたのだろうか?本当にそんなに早く子どもから解放されたいのだろうか?もっと子ども達の成長を楽しむべきではないだろうか?もっとゆっくり子ども達を成長させてあげてもいいのではないだろうか?それでは本当に子どもらしく成長するってどういうことだろうか?

それは子どもでいさせてあげることではないだろうか。子どもらしく、その子らしく時間を過ごさせてあげることではないだろうか。つまり、親があっちの塾、こっちのおけいこごと1週間をスケジュールで埋めるのではなく、ある程度子どもが自由にぼけーっとできる時間を設けてあげることではないだろうか。

なぜこれほどまでに子ども達をスケジュールにしばっているのか?それは大人自身が綿密なスケジュールをこなす生活をしているから、それが子どもにも正しいことだと思い込んでいるのではないだろうか?fast pace な都会の生活に疑問を抱いた家族は田舎に引っ越している。日本の教育制度に疑問を抱いたある家族はサモアに移住した。きっと子どもにとって何が大切かがわかったのだろう。

子どもは自分の時間の中で自分らしさを発見する。自分はどんなことをしているのが楽しいかをその時間で発見する。何もしていない時間も大切な時間だ。何もしていない時、その子は考えているからだ。夢を見ているからだ。将来に対する夢を。目に見えていることがすべてなにかしていることではないのだ。

だから大人になって、「私の青春を返して」とか「私の子ども時代を返して」とか言うのだ。さらに怖いのは、子どもらしく成長する時間を与えられなかった大人たちは年齢的には大人であるかもしれないが、精神的にはまだまだ未熟であることだ。そういう大人がすごく日本には多いように思う。

子ども時代に何をしたいかを十分考えることがなかったがゆえ、ただスケジュールをこなす毎日であったがため、大人になって何をしたいかがわからないのだ。子ども時代には多くの夢を見る時間が与えられるべきなのだ。宇宙飛行士になりたい、大統領になりたい、大工になりたい、設計士になりたい、とこのように将来を思い巡らす時期なのだ。それをしてこなかった大人たちにいったいなんの希望があるだろうか。生きることへの希望すら失っているおとなたちがいることは本当に悲しいことだ。

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