一般的日本の海外子女 / 帰国子女像に異議あり

『ある日突然、言葉の全く通じない世界に放りこまれたら・・・一体、こどもたちの頭の中では何が起こるのだろう?それも、朝から夕方まで、来る日も来る日も、そのまったく異次元とも未知の惑星とも思える世界で過ごさなければならないとしたら?』

こども連れの駐在員の方達と会うと、いつもそんな疑問が、私の脳裏をよぎっていました。そんな疑問に答えてくれたのが、以下の高校3年生、眞田 武士さんのエッセイでした。以下、眞田さんに許可を得て転載させていただきました。

眞田さんは、英国在住の日本人の中高生男女が共同で編集に当たっているホームページ「Scrap Yard」(http://www2.to/scrapyard/)の編集長です。このホームページには、他にも、たくさんの中高生の方達の興味深いエッセイが掲載されています。是非、一度訪れてみてください。

一般的日本の海外女子/帰国子女像に異議あり

Scrap Yard編集長・眞田 武士
http://www2.to/scrapyard/

 そもそも、僕がこの特集を発案したきっかけは、マスコミ等に頻繁に登 場する(つまり世間一般の想像する)「海外子女」「帰国子女」のイメー ジが、余りに短絡的かつ偏見的な代物だったからだ。馬鹿げた話だと思う。 無知の僕が口を開くまでもなく、「十人十色」であり、「アメリカに5年間住めば、こうような性格に変化する」と断ずることは、一元的だろう。 この場合、「アメリカに5年」でも、日本語・英語環境の多寡、学校の種 類・性質、渡航時の年齢、事前英語能力の有無、友人関係なども十分に吟 味されて、それでもまだ材料に不足するくらいだろう。そして、大事なこ とは、これらのデータをコンピュータに入力して、リターン・キーを押し ても、結果は出て来ないのだ。“ケース・バイ・ケース”という通り、同 じ様なデータから、全く別の「答え」が出てくる可能性も十分に考えられ ることだと思う。

 また、大手マスコミに登場する「帰国子女」なり「海外子女」は、記者 やジャーナリストを始めとする第三者というフィルターを通して、それか ら公にされる場合が非常に多い。これが何を意味するかといえば、第一当 事者の主張が無視されているのだ。無論、これらの記事のほとんどは、事 実に基づくものだと信じているし、そのことを批判する気はない。ただ、 同じ「事実」も、情報の選択によっては全く違った完成をもたらす。

 マスコミとマスコミが情報を提供する大衆の大部分も、多くの場合、何 よりも「結果」を優先して望む。そして、必然的に「過程」は後回しにな る。例えば、こんな記事だ:

 大野さんは、12歳の時から両親の仕事の関係で、6年間カナダに  住んだ。現地では、英語系の公立中学校から高校に進学し、高校を  卒業して日本に帰国した(18歳)。「大学は日本で」という本人  の希望もあって、○○大学を帰国子女枠で受験し、合格・入学した。  現在○○大学国際情報学部2年生。  帰国後は、持ち前の英語力と明晰な自己主張を活かして、大学生活  を楽しんでいる。記者とのやりとりの中でも……”

 まぁ、大方この様な記事だ。皆様も一度はお目にかかったことがあると 思う。しかし、これだけでは、肝心なところは分からないのだ。ここには、 あくまでも結果のみしか記されていない。初歩的な点だが、“5W1H” の“why”と“how”がほぼ完全に欠けているのだ。また、この後に 続くであろう記者とのやりとりでも、きっと型通りの質問が続くであろう ことは、想像に難くない。

 "英語を話せるようになるのは大変ではなかったか?"  "友達は出来たか?話はうまく通じたか?"  "カナダでの生活は楽しかったか?役に立ったか?"  "一番苦労したことは何か?"  "日本とカナダの友達・教育制度はどう違うか?"

 「海外子女・帰国子女」を理解する上で、これらは必要な事項に違いな いと思う。実際、この特集記事を書くに当たって行ったアンケートにも、 ここに挙げた質問の幾つかが含まれている。しかし、これらは表面上の問 題に過ぎないと思うのだ。そして、なぜ記者がそれより深い核心的な質問 を発することが出来ないのかといえば、十分な時間が費やされなかった為 と、経験の有無だろう。自身が帰国子女(または海外子女)ではなくて、 短時間で質問の要点を取得するのは、かなり困難だろうと思う。例えば、 一時帰国がもたらす喜びや、土曜日に早起きまでして補習校へ行く心理を、 一言二言で理解してもらうのはほぼ無理だろう。一時帰国にしても、“ホ ームシック”の一語だけで済まされる問題ではないと思う。

 前置きが長くなったが、僕の今回の試みは、数人の体験談的モノを並べ ることで、幾つかの"系統"を読み取ってもらおうというものだ。そして、 “how”と“why”に重点を置いた体験を「それぞれの」ものとして 語ってもらいたい。

 僕は、自身のことを、アンケート等を通して知り得た他の人の実状を交 えて書こうと思う。

 僕が英国に来たのは、12歳の時で、中学1年生を3ヶ月ほど日本でや ってからだ。今から、約5年前だ。父の転勤が理由だった。僕は8月生ま れだが、一学年下げて、現地校でYear 7に転入した。そして、今年の6月 にYear 11を修了し(GCSE)、現在はcollegeでA-levelをやっている。が、 英国の教育システムの説明は、先週号で行ったので、ここでは割愛させて 頂く。そして、補習校にも中1からお世話になっている。以上が、僕のイ ギリスにおける大雑把な経歴の様なものだ。それらを、もう少し深く掘り 下げて行こう。

 まず、出発前の心理について。イギリスに引っ越すことを知らされたの は、大体引越しの8ヶ月前だったと記憶している。母が―-多分会社の父か らだったのだろう――電話を受けて、「イギリスに行くことになったよ」 と半ば冗談の様に言ったのを覚えている。周囲に同じ様にイギリスに行っ た家族もいたし、「海外に暮らす」ことは僕の中では不自然ではなかった けど、正直言って余り実感がわかなかった。そして、「とりあえず」とい うことで、公文式の英語とNHKラジオの中学生1年生用の“基礎英語I” を始めることにした。ご存知の通り、公文式は本人のペースに合わせてや るので、好きなレベルを好きなスピードでやることが出来る。僕は‘A’ という中学1年相当の教材から始めたのだが、(今考えると、ホントに不思 議でしょうがないのだが)教室の先生が露骨に嫌がる程、モーレツにプリ ントを克服していった。公文式の特徴は、同じことを何度も繰り返すこと によって、自然と覚えることである。しかし、反対に欠点は、それぞれの トピックで扱う範囲が狭く、応用問題等は皆無に等しいことだ。一応、8ヶ 月間の間に、過去形・受動態・過去分詞・接続詞等の中学校で習うものは カバーしたが、文法はゼロだったし、教科書の問題は解けないものの方が 断然多かったと思う。が、僕は、内心では結構満足していた。そして、流 される様にイギリスまで来た。

 学校に行ってまず驚いたコト。英語が分からない!まぁ、初めの挨拶み たいな感じで「こんにちは。僕は○○です。これから、教室に行きます。」 といった内容だったのだと思うが、発音が早過ぎて、聞き取れなかった。 これは、少なからずショックだった。それでも、初めの半学期は、クラス に日本人の男の子がいたので助かった。またサッカーをやっても、“こっ ちにパスを出せ”とか“よくやった”といった英語を覚えるのには、大し て苦労しなかった。授業の方は、ほぼ“サッパリ”だったが、その時点で は「もう少しすれば何とかなるだろう」程度に楽観的に考えていた。そし て、最初の半学期間は、「まぁ、イギリスってこんなところなのかな」と、 のんびり“ふ〜ん”と思ったりもした。

 状況が変わったのは、それからしばらくして、新しい学期が始まってか らだ(日本人は僕一人)。宿題は出る。けれども、期待していた英語の上 達も一向にはかどらない。「日本なら……」とひたすら考えた時期だった。 日本ではバトミントン部で、ほぼ毎日、遅くまで練習があったが、不幸に もイギリスには部活の制度はない。したがって、鬱憤は内へ内へと溜まっ ていった。何度も泣いた、考えた、日本に帰りたいと念じた。そして、い ずれも虚しく終わった。今ならば、同じ様な状況でも「いや、待てよ……」 と考えることが出来る。しかし、当時の僕は、それが出来ない程、追い詰 められていたのだ。この楽観的極まりない人間が……。

 この状況から抜け出すのに必要なのは、第一に時間だと思う。英語の能 力や、友達のことよりも、自分で考えた上で納得することが求められてい るのだ。そして、そう考えようと思ったところで、成し得ることではない ので、これだけは自分の今の状況を受け入れられるまで考えるしかない。 無論、学校の環境も無関係ではないし、家族のサポートなども大いに関わ ってくると思うが、最終的には本人の問題であって、家族のものではない。 だから、一種の開き直り――ここまで来たんだから、とことんやってやる ぜ――によって、精神的な負担が激減されるのだ。しかし、これらはあく までも理論上のこと。悩んでいる本人の前にいくら立派な論を並べても、 それはさしたる効果を望めないだろうと思う。僕の場合は、来てから3ヶ 月〜10ヶ月が、時期的に一番きつかった。完全に開き直れたのは、これ よりもずっと後の話だ。

 これには、個人差も勿論あると思うが、周りの話を総合してみても、大 体この様な“系統”が見られる。来る前から、「絶対にイヤ」だった人も いるけれども、少数の例外を除けば、「自分がとんでもない状況にいる」 ことに気付くまでには、少し時間がかかるみたいだ。僕の様に、最初の3 ヶ月くらいは、何となく過ぎてしまうらしい。むしろその落差が、その後 の失意を際立たせているのかもしれない。

 また英語力の向上も人それぞれだが、僕の場合、友達との間で使う「遊 びの英語」は4ヶ月くらい、先生の「授業の英語」の内容をほぼ掴めるよ うになるまで2、3年かかった。やはり、授業の場合、日本語で話されても 分かるとは限らないから、それだけ難易度も増すのだろう。その点、数学 に関しては、他の科目と比べると英語力が多くは求められていないので、 多くの日本人には一番取っ付き易い科目となるのだろう。後、他の授業で は黙っている場合でも、「オレだって馬鹿じゃないんだゾ」とクラスメイ トに示せることも、ささやかなことだが、重要だと思う。また、絵や楽器 が上手かったり、スポーツが出来れば、それも利点になる。

 補習校の役割について簡潔に説明しようと思う。最初の内は宿題やらテ ストやらで面倒だと思ったが、しばらくしたら、何のことはない、遊びに 行くつもりで補習校に通えば良いだけの話だと、周りの友達を見て気付い た(今でも同じだ)。

 以前、補習校の某先生が、「『補習校』が『補修校』と書かれているの を見ると、海外で勉強を補習する為の学校か、現地校などでストレスの溜 まった子供達の補修の為の学校なのか分からなくなってしまう」という趣 旨の文を文集に載せていられたが、「補習校」は同時に「補修校」でもあ ると思う。

 実際に、僕はそのつもりでいたし、アンケートに答えてくれた人達も、 「ストレス解消」や「ほっとする場所」と答えてくれた。やはり、来てま もない人や、現地校で上手くいっていない人には、補習校はなくてはなら ない存在だと思う。英語の環境の中で、一週間も抑制されていたモノを発 散出来る場所だということが、補習校にオアシス的役割を持たせている。

 一時帰国。特に、初めての一時帰国は、非常に待ち遠しい。何年も会っ ていない、電話や手紙でしか近況を知らない友達や、日本の食べ物・本・ 音楽・テレビなどのモノ。そして、そういった環境に囲まれ、「僕はこの 街に住んでたんだなぁ」とか「僕はこの国の人間なんだな」といったこと を思う訳だ。

 そして、大体の人は、来てから1〜2年の間に最初の一時帰国をするか ら、ここも一つの節目というか境目になっていることが多い。日本に行っ て、友達が実際に色々とやっているのを見ることによって、今の自分の状 態を「ちょっと待てよ……」と冷静に考えることが可能になるのだと思う。 そういった意味で、一時帰国はただ単に「友達に会って」「モノを得る」 ことだけではなくて、その後の心境の変化も大切だ。勿論、良い方向に変 わるとは限らない。本誌編集部の尾方彰一は、一時帰国の後に日本に帰り たくて帰りたくてたまらなくなった一人である。彼は、その前はそれ程日 本にこだわってはいなかった。しかし、この場合は、一時帰国が明らかに 影響を及ぼした。

 イギリスの教育制度による試験なども、さまざまな問題の種だ。主に、 SATSやGCSE、A−level等だ。この中では、GCSEが一番 の問題ではないかと思う。中には、来てすぐにGCSEの課程に入ってし まった人もいる。GCSE課程は2年間で、2年目の終わりの試験だけで なく、途中のコースワーク(レポートやプロジェクト等)も採点対象にな るので、話がやや複雑だ。また、科学や数学でも、コースワークには英語 の作文力が必要とされており、これもネックの一つだ。

 僕は、持ち前の楽観主義で何とかGCSEを切り抜けたから良かったも のの、2年間の準備期間があったことに感謝している。先述した様に、今 はA−levelを始めたところだが、個人的には3教科に専念出来る分 だけ、それぞれの科目からより深いものを引き出せるので、システムとし ては非常に好きだ。

 更に、この延長線上に、日本の帰国子女枠受験の問題がある。これは、 海外で取得した資格(GCSEやA−level)や語学力・表現力等で 受験を受ける制度だ。僕は、興味のある問題なので、実際に帰国子女枠で 日本の高校に入学した三人に、「帰国子女枠はフェアーか?」という質問 をしてみた。すると、2人は「フェアーだ」と答えてくれたが、1人は 「フェアーではない」と答えた。同じ高校に入っても、国語力等で、一般 生と帰国生では能力に差がありすぎるというのが主な理由だった。

 僕は、どちらの意見も理解出来ると思う。確かに、日本のテストで計る 基本学力は、一般生よりも劣るかもしれない。しかし、それに代わる“何 か”をやって来たことが、帰国子女枠の前提だと思うから、これは許容さ れるべき問題だと思う。が、日本人学校の帰国子女枠は公平ではないと思 う。この場合は、“何か”に該当するものがないからだ。この辺りも、日 本の一般イメージでは「帰国子女枠は楽」という風に受け止められている ゆえんだろう。が、GCSEやA−levelと併せて考えれば、これは 決して「楽」ではないことは明白だ。

 今の僕は、自分の意思でイギリスに留まっている。じっくりと考えてみ たところ、僕があのまま日本にいれば、絶対に 「なぜこんな欠陥だらけの教育を受けなければならないのか」 「なぜ、文型も科学を習わなくてはいけないのだ」  と感じたことだろうと思うからだ。この様にして、二者をじっくりと比 べることが、既に貴重な体験だと思うし、英語は完璧からは程遠いけれど、 出来るだけのことはやっておきたいと思う。今の自分の思考回路は、大人 になっても大まかなところはほとんど変わらないだろう。その礎となるも のを、今の時期にきっちりと築いておきたいと思っている。

 さて、「帰国子女」「海外子女」のことを更に詳しく述べるには誌面が 足りない。が、第一当事者から見た自分達のことを少しでも理解して頂け たら幸いだ。マスコミに登場する「帰国子女」「海外子女」像からは見え ない中身を「こんなのもありますよ」と、知ってもらおうと試みたつもり だ。また、機会があれば、別の角度から考えてみようと思う。

 

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