2006年12月09日

頭の中

「頭の中が真っ白」っていう言い方があります。これは何かの影響で、何も考えがないときのことをいいます。その逆に「頭がいっぱい」という言い方もあります。頭というのが、考えの入れ物のように思えます。

毎日の生活の中では、そんなに複雑なことはありませんから、頭の中にそれほどたくさんの考えは起こりませんし、外からいろいろ入れることもありません。放っておくと、頭の中が随分簡素化されていきます。

面白いもので、頭の方で、簡素化を嫌う面もあります。退屈になってきて、頭を刺激するようなことを探し出します。本を読んだり、ゲームをしたり、問題集をしてみたりして、頭の活発を保とうとします。

本を読んでいて気が付きますが、読みながら新しい考えに接し、それを習うことによって、自分の考えが一歩前に進むような感じがします。その逆に新しい考えが起きませんと、頭の中が徐々に乏しくなります。私たちの頭は、次から次えと新しく入ってくるものがないと、停滞してしまうのでしょうか。

一見、新しい考えは、自分の中からきりなくわきでるように思えますが、実はそうではなさそうです。中からわきでるような現象も、実は外からいろいろ入れていないとでてこないようです。

そして、外からくる考えというものは、他の人の頭から来たものですから、私の考えは誰かの考えに随分頼っているのでしょう。私のところへ来る誰かさんの考えは、その人が考えつく前に、他の人から来て、それがその人によって消化され、考えとなったものです。私は誰かさんの考えを頭に含み、自分なりに消化をし、そしてまた、他の人に移していきます。

私の頭に浮かぶ考えは、自分なりにユニークな貢献はあるようですが、他のところからやってきたという部分は、多分にあるようです。そして、この「自分なりにユニークな貢献」とは、何なのでしょう。これは、過去の自分の経験から考えだしたことや、これまでに学習した考え方が、自分の中である程度組織化された集合体となって存在し、それが外から来る考えとある形で結びついてできた結果とみることができます。

すなわち、自分なりにユニークな考えは、生まれるようでうすが、それは、私のところへ来る前の誰かさんの考えと関係があり、私の考えを次の誰かさんに伝えるとき、その誰かさんの考えと関係があるわけです。これってちょうど沢山のコンピューターがインターネットでつながっているかのように、私たちの考えは、コミューニケーションを通じて、複雑にそして限りなくつながっているようです。そして、個人が孤立してしまいますと、情報の出入りがなく、その人の頭の中は、乏しくなっていってしまいます。人間の頭って、人々の間で限りなく相互依存いているようです。

行き着くところ、私の考えは、私のものであり、そして私のものでもないことになります。それでは、「私の考えはこうだ。」などというとき、私たちはそれが、どんなにナルシスト的発言であることを忘れているのでしょう。自分の考えを自分が所有していると思い、それによって自分であることを主張し、自分の存在感を確認する動作の一連に対して、疑問がわいてきます。

それより、私の考えは人類全体が所有しており、その一部が今たまたま私のところで起こっている、といった感じでしょうか。あなたの意見は?と聞かれたとき、「現在、私のところでは、これこれの考えが起こっております。」というわけです。今月のトピックも、たまたま私のところで起こりました。