pwd lRdS9jgVkjM.M rc 613 date 2011/9/20(火)01:46 uname ブルン email host kd121108056178.ppp-bb.dion.ne.jp subject 「情報難民」について、内田樹氏と藤原正彦氏の主張 size 1758 how -1 link 1 resp . tree 3257 psemail res 1 国連大学名誉副学長である安井至先生のブログ「市民のための環境ガイド」 9月18日付の記事が大変興味深いです。 http://www.yasuienv.net/UchidaFujiwara.htm 一部引用します。 「情報格差が拡大している」。この文章から始まる。被災地でのデジタルデバイドの話か などと思うが、中身は全く違う。ある特定の考え方に固執する余り、良質な情報をはじめ から拒否してしまい、ジャンク情報しか信じられなくなっている人を「情報難民」と呼 んでいる。 このような新たな「情報難民」が発生したことには、インターネット系の情報量の爆発 と、新聞情報の劣化、という2つの原因があるが、もう一つ、決定的な要因がある。 それは、そのような情報の良否を判断できない人の特徴であるが、 「話を単純にしたがること」であり、もっとも知的負荷の少ない世界解釈法である 「陰謀史観」に飛びつく。世の中のすべての不幸は「それによって受益している悪の張本人」 の仕業である。陰謀史観で解釈すると、「私は悪の秘密を知っている」という全能感を与 えてしまう。一度、この麻薬のような全能感になじむと、他の考え方を受け入れられなく なる。まともな情報を世論操作のための「うそ」だと退ける。彼らの不幸は自分が 「情報難民」だということを知らないという点にある。(引用終わり) ネット情報の利用者ならば、誰しもこういうことは、しっかり認識しておく必要があるの ではないでしょうか? 私たちには「ついついわかりやすい情報を求めたくなる傾向がある」 と自覚しておくことが、まず第一です。 極端な「情報難民」でなくても、情報の受け手がそういう傾向に偏っている状態の時は ネットというメディアを離れて、肉声による話を聞くべきだというのは納得がいきます。 人と直接議論をすることや、人の講演などを聞くことによって、文字情報以外の、 信頼性を含む無定形の情報が付随した情報を取り入れることが、コミュニケーション には不可欠だと思うからです。 文系的判断、理系的判断(リスク理系と数学理系)の記述も面白いです。 是非、ご覧になってみて下さい。おススメです。