pwd S7woWxnIQ4Bq2 rc 1943 date 2010/12/2(木)22:27 uname 匿名希望 email host udp100230uds.hawaiiantel.net subject 死で死を償う事の効果 size 3144 how -1 link 1 resp 2460.res tree 2436 psemail res 1 死刑賛成派の方の理由の中でも一番大きなものは『死には死をもって償うべきだから』と言うのがありますが私にはそれがなぜなのかが分かりません。 子供が小さい時には道徳の時間でも「やられたからと言ってやり返すのは良くない」「仕返しはいけない」と教えるているのに矛盾していませんか? 他にも人を殺すような人間には痛い思いをさせないと理解できない、人の痛みが分かるまで拷問をなんて過激な意見までありますがそれは周りの自己満足しか生み出さず犯罪者の更正や反省を促すことには全く繋がらないと思います。 もともと極悪犯罪を犯す人間は周りの痛みを理解出来ないから犯罪を犯すのであって、そういった人間に制裁を加えても効果はありません。 むか〜し流行ったスパルタ教育や暴力教育が決して人の痛みの分かるモラルの高い人間を生むことなく逆に同じ制裁教育を自分の子供や目下の人間に行う人間を生み出したように、虐待を受けて育つ子供が本人の努力やその後の周りの良い出会い無しには同じように虐待を繰り返してしまうように制裁や罰は決して人間を一時的に抑制することは出来ても更正することは出来ません。 私も愛する家族が殺害されたなら半狂乱になり復讐を願うでしょうけどそれとこれは別だと考えています。どんなに頭にくることがあっても子供に暴力(虐待)を与えないのと同じだと理解していますがこの言い方には語弊があると感じる方もいるかもしれませんが。 決して犯罪者の肩を持つわけではありませんが犯罪者が被害者の痛みを理解出来ないのと同様に一般の人間も犯罪者の心理を理解することは難しいですし目には目をと言う理論は全く通用しないようにも感じます。 死刑判決の際によく出てくる永山基準の基となった永山死刑囚(既に処刑済)は当時血も涙も無い極悪犯として世間を賑わせたようですが逮捕後から忍耐強くサポートを続けた弁護士や周りの人間、そして獄中結婚した妻の支えの下少しづつ人間としての心を取り戻し(正確には人間としての感情を初めて持ち始めたと言う記録もあります)改心をしていったという記録を読んだことがあります。 とても有名な死刑囚ですのでネットでも多くの情報が出ると思います。彼は逮捕時には確か20歳前後でしたが読み書きが全く出来なかったのですが数年後には稀有な文才を発揮して多くの作品も発表しています。 また逮捕時には「早く死刑にしてくれ」「死にたいんだ」と死刑の日を待っていたそうですが後に心を取り戻すと同時に徐々に「自分の罪に向き合って生涯をかけて償いたい」と漏らすようになったそうです。 死刑囚となった人間の生い立ちやその環境を詳しく探ると正直なところ「同じ人生を送っていたら私は今の私でいられただろうか?」と思わざるを得ない事もあります。 もちろん生い立ちや環境のせいにしてはいけませんが「理解の出来ない犯罪者は殺して社会から抹殺してしまえ」と言う意見は本当に犯罪を減らすことになるのか疑問に思います。 名前は忘れましたが愛犬殺人事件の死刑囚(死刑済)は死刑のその瞬間まで自分を研究材料として研究し、なぜこのような性癖の人間が出来てしまったのか今後の社会の為に役立てて欲しい、そうして同じような犯罪を減らして欲しい」と嘆願を続けていました。 命乞いの為に言っているのだという意見もありましたが犯罪者をすぐに制裁処置として殺してしまうのではなく、起こってしまった犯罪を深く研究することも意義のある事ではないかと思いました。 実際に彼のこの意見を支持し実現させようとする有識者や賛同する犯罪専門家は少なくなかったようです。 私は上の方でも何人かの方がおっしゃっているように死刑か否かよりも現在の刑罰の改正や判決後のより深い研究を推し進めることの方が将来的には犠牲者の方々を無駄死にとさせないように思えます。