pwd nDRYiKZa4tMms rc 580 date 2010/9/2(木)17:27 uname 高齢 email host adsl-71-142-69-104.dsl.pltn13.pacbell.net subject re(4):私の歴史観 size 1758 how -1 link 1 resp 2000.res tree 1978 psemail res 1 あの時代には、欧米諸国も類似のことをしていた、というのは確かです。 朝鮮としては隣国の日本に劣っているとは思いたくない、という感情的なものもあって、はるかに大きな支那や、白系のロシア、ヨーロッパに対するよりも日本に対する反発が大きいのでしょう。 これは日本が何を言ってもどうしようもないことです。 日本が良いことをしたと言い張るのには相当な無理があると思います。基本的には支那、ロシアと争って朝鮮を自国の利益を守るように動かせるようにしたのですから。下関で挑戦の独立を求めた目的支那の影響を除外するためでしょう。 少なくとも、日本の民族主義者の方々がおっしゃるようにすべていいことづくめ、かなり考えにくいことです。 しかし、それ以前に何があろうとも日韓基本条約でカタがついていることです。そのポジションを崩さない限り問題ありません。 たとえば日本の統治下で、強制的に日本語教育をしたとして、現在の基準ではそれが問題だったとしても、それはすでに基本条約でカタがついています。 日本国民が戦争の被害に関してアメリカ政府を訴えることができないのと同様に、韓国国民も日本の統治に関して日本政府を訴えることはできません。国際条約で各国の国民に対してはそれぞれの国が責任を持つことになっているからです。 私がわからないのは、なぜ日本がやったことを美化しようとする人がいるのだろう、ということです。良かれ悪しかれカタがついたことはカタがついたこと。少なくともそれが日本的に潔いといわれるものの考え方です。 あれは実はいいことだった。恩義を感じるべきだ、などと後付で言い出すのは少なくとも私の美学にはそぐわないものです。 支那が、その時にはその時の事情がある、といった話は、多分本当ではないと思います。支那は朝鮮を属国としては扱ったものの、近代以降に朝鮮に侵入したことはないと思いますので。 ただ、その時にはその時の事情がある、というのは事実で、その事情をすでに国際条約でカタをつけた以上、それ以前のことを美化しようとする努力は無駄な上に逆効果にしかならない、と私は感じています。