pwd ryhCH6H6c2mnQ rc 551 date 2009/5/5(火)09:34 uname 悩めるひと email host adsl-75-61-245-207.dsl.hstntx.sbcglobal.net subject re(1):日本人だけの教会(在米です。) size 2029 how -1 link 1 resp 77060.msg tree 77060 psemail res おっしゃる事よくわかります。日本人教会でなくても、地元の教会でも普通に見られること だと思います。ほんとにいろんな人がいますよね。 教会は、病院とよく似ているかもしれません。 健康な人(自分を健康だと思っている人)は、病院には行きませんが、体や心を病んでいる人 (または病んでいるという何らかの自覚症状がある人)が大勢集まる場所です。 健康な人に医者は要らないのと同じように、少々極端な言い方をしてしまえば、自分に自信があり、 健康を自負する人には神様はさほど必要ではなく、教会に来る必要もないでしょう。 教会は、清らかな人々が集うキラキラと光輝く場所と思ったら大間違いです。(そうあって欲しいんですけどね・・・) すぐに幻滅することになると思います。 言ってみれば病院なのですから。 もちろん病院は人間が管理・運営していますが、ここでいう病院(教会)は、神様が頂点に立って 管理しておられます。そこには当然医者や看護士もいますが、彼らとて生身の人間なので弱さを たくさん抱えています。幸いなことに症状が収まって治った人もいれば、外からの見舞いや訪問客もいて、 様々な人が常に出入りしています。しかし大多数は病人です。 とは言え一人の人間がいつも同じではなく、例え病院側のスタッフであっても時には寝込んで入院して しまったり、治った病人がそのまま看護士や医者になることも珍しくなく、立場はよく変わります。 症状が一向に良くならず延々と入院する重症患者もいますし、様々な症状の人がいますが、程度の差こそあれ 皆が病人です。 普通、病院は治ったら退院しますが、ここでいう病院(つまり教会)は、退院することはあっても心のアフターケアが 必要なので、何らかの形で通院を続ける人が多いです。 そんな病院まっぴらごめん、と思うかも知れませんね。でも教会とは基本的にそういう所です。 教会を病院に例えたのが適切だったかどうかわかりませんが、要はつまり言いたかったのは、 病んでいるなればこそ神様が必要なのであり、人とくらべて自分が健康であると奢り高ぶったり、 他人の病気を嘲笑ったり見下したりすることなく、お互いに程度の差こそあれ同じ病人同士として 互いに許しあい、優しく労わらなければならないという点です。・・・でもそれは決して簡単な事ではなく、 かくいう私自身なかなかそれが出来ずにいます。 もし偉そうに聞こえてしまったら大変申し訳ありません。失礼致しました。