pwd lG7OgfQry/8pk rc 1638 date 2015/11/17(火)06:39 uname paix email host 83.231.128.69 subject re(1):人の生死を分けるものってあると思いますか? それは何なのでしょうか? size 1563 how -1 link 1 resp 101859.msg tree 101859 psemail res 1 全ては偶然だと思います。 私は事件・事故・災害などで生死の境目を経験した事はありません。 でも、普段からボーっとしているので、そういう状況におかれていたにも拘らず気付かなかっただけかもしれませんが。 パリに住んでいますが、今回のテロが起こったとき、私自身は夜ということもあり家にいましたが、まわりには現場に居合わせてしまった人も何人かいます。 ショックで日常生活にまだ戻れてない人もいます。 例えば、行く予定だったけどギリギリの予定変更で行かなかったとかいう場合は「運がよかった」と思えるのかもしれませんが、 その場に居合わせ、数メートル先で人が亡くなるのを目撃した人は、「運がよかった」という気持ちにはなかなかなれないのではないでしょうか。 ましてや、自分が生かされたことに意味があるとは考えられないのではないかと思います。亡くなった人にも行き続ける意味はあったはずですから。 これから、サバイバーズギルトのような感情に苦しめられるかもしれない彼らにどう声を掛ければよいのか、私も悩んでいます。 九死に一生> この男性が、用事で遅れなければ、ひょっとしたら、です。 九死に一生> 結果、日本にお住まいの(多分、ですけれど)ご家族は 九死に一生> ”自己責任”論を振りかざす人から批判されていたかもしれません。 ところで、日本では、海外で亡くなった人の日本に住む遺族にこのような心無い対応をされるのですか? 危険地域に回りの制止を聞かず入って亡くなった人に対して自己責任論が巻き起こったニュースは知っていますが、 1月にテロが起こったとはいえ、先週時点で特に外務省からの勧告等も出ておらず、日本人旅行者も多いパリに住んでいる人がテロに巻き込まれたら、 自己責任といって日本の家族が批判されるのですか? 個人主義と言われるフランスでもこのような心無い自己責任論は聞いたことがないです。