pwd HNb1472d7.iNc rc 18578 date 2015/6/26(金)14:14 uname 迷う者 email host c-73-55-217-187.hsd1.tx.comcast.net subject re(1):”絶歌”の出版に関して思うこと  size 3853 how -1 link 1 resp 101159.msg tree 101159 psemail res 1 ネットで調べていたら元少年Aによる巻末のあとがきをたまたま見つけました。 被害者の家族の皆様へ まず、皆様に無断でこのような本を 出版することになったことを、 深くお詫び申し上げます。 本当に申し訳ありません。 どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です。 (中略) 二〇〇四年三月十日。 少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、 僕は、必死になって、地べたを這いずり、 のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って 生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。 人並みに社会の矛盾にもぶつかり、 理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、 そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、 何もかもが嫌になってしまったこともありました。 ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、 やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか 社会生活を送り続けることができました。 しかし、申し訳ありません。僕には、 罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、 関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、 心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。 周りの人たちと同じようにやっていく力が、 僕にはありませんでした。 「力がありませんでした」で済まされる 問題でないことは、重々承知しております。 それでも、もうこの本を書く以外に、 この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、 僕はとうとう見つけることができませんでした。 許されないと思います。 理由になどなっていないと思います。本当に申し訳ありません。 二人の命を奪っておきながら、 「生きたい」などと口にすること自体、 言語道断だと思います。 頭ではそれを理解していても、 自分には生きる資格がないと自覚すればするほど、 自分が死に値する人間であると実感すればするほど、 どうしようもなく、もうどうしようもなく、 自分でも嫌になるくらい、「生きたい」、 「生きさせて欲しい」と願ってしまうのです。 みっともなく、厭ったらしく、 「生」を渇望してしまうのです。 どんなに惨めな状況にあっても、 とにかく、ただ生きて、 呼吸していたいと願う自分がいるのです。 僕は今頃になって、 「生きる」ことを愛してしまいました。 どうして事件を起こす前にこういった 感覚を持つことができなかったのか、 それが自分自身、情けなくて、歯痒くて、 悔しくて悔しくてたまりません。 淳君や彩花さん、ご家族の皆様に、 とても合わせる顔がありません。 本当に申し訳ございません。 ・・・以上ネットに貼り付けてあった抜粋ですが、この後書きを読む限りでは 全体的にポエム調で自己陶酔感とナルシズムあふれる本文とはかなりギャップが感じ られ、どっちが真実なのか、あるいはどちらも真実なのかと当惑させられます。 私は正直言って、こんなものが堂々と出版されるなんて言語道断という気持ちと、ごく一部の専門家だけでなく遺族も含む 公の目に触れる形で出版されてむしろ良かったのかも、という気持ちの間で揺れています。 何もしなければこのまま静かな暮らしを隠れてひっそりと送り続け、それなりに平穏無事な日々が送れただろうに、 あえて当時の衝撃と世間の怒りを蒸し返すような出版という非難轟々の道を選んだので、今後の彼の人生は以前にも増して さらに生き辛い、社会の容赦ない視線と監視がどこへ行ってもつきまとう壮絶な人生が待っていることでしょう。 どこかにひっそり隠れたまま、上の方で話題になった佐川一政のようにそのうち世間からすっかり忘れ去られ、 静かで平穏な人生など送って欲しくはないので、むしろそういう意味では良かったのかもと思います。 しかも最後に「今頃になって生きることを愛してしまいました」とあり、もしそれが嘘偽りない本心であるとすれば 彼にとっての生き地獄はむしろこれから始まると感じました。死にたいと言っていた彼を死刑にしても何の意味もなく 宅間守のように、むしろ彼の願ったり叶ったりだった事でしょう。 本当は今頃死んでいなければならない自分が、まだ生きている。それが何を意味するのか、法律は許しても世間は許さないという 厳しい現実をこれまで以上にひしひしと感じながら、今までは怖くも何とも無かった「死」に恐れおののきつつ一生を終えて欲しいです。 また、こうして一般社会に自由に放たれて紛れ込んでしまっている以上、彼が今どういう心境で何をしているのか世間に知らしめ、 どこに潜んでいるかも知れない彼に対し、決して世間は気を許したり忘れてしまったり、とにかく一般社会のガードを降ろさせないためにも 定期的にレポートのような形で近況を公表して欲しいです。