教育法は“ひとつじゃない”。さまざまな形の教育や子育て 。
《子ども時代の遊び経験が情報化社会での人生の成功につながる 》
記録&訳 by 久保淑子
サドベリースクール講演者のプロフィール
東京の上智大学で、フリースクールの世界的モデルと言われているアメリカのマサチューセッツ州にあるサドベリー・スクールの創始者のグリーンバーグ夫婦を招いた講演会が開 かれた。夫のダニエルさんは、ニューヨークのコロンビア大学で倫理物理学の博士号を取 り、同大学で物理学と科学史を教え、著書も出版している。
妻のハンナさんは同大学で生 化学の博士号を取得しアルバート・アインシュタイン大学と、マサーチュセット工化大学 で研究活動を続けていた。 お二人には、子どもが三人いて、いずれもサドベリー、スクールを卒業している。そして 、孫が六人いる。
講演会で初めてお会いしたグリーンバーグ夫妻は、ダニエルさんは背が高くて、どっし りした感じで、一見して「崇高たる教育者!」とわかる優秀さ、奥行きのある優 しさがあった。奥さんのハンナさんは、細身でやはり背が高く、茶目っ気のある優秀な科学者という雰囲気だった。講演は、まずダニエルさんの話から始まった。
《サドベリー・スクール誕生のきっかけ 》
きょうは、なぜサドベリースクールで価値のある環境なのかお話したいと思います。そして、この学校が、単に伝統的な学校のありかたを変えるものではなく、子どもを育てるこ とを考え直すことにつながっていくことを願っています。
1965年、私と妻のハンナは、当時、4歳だった息子のために学校を探していました。 (ここの州では、4歳の幼稚園から学校扱いになる)。本題に入る前に、私たち自身の学校時代のことをお話します。
私は子どものころ、それはそれは優秀な生徒でした。毎日、長時間、勉強や宿題をし、ど の科目も成績優秀でした。ハンナはというと、こちらは実にひどい生徒で、宿題もしなけ れば、先生の話も聞こうとしなかったのです。でも結果的には、私たちはどちらも科学者 になったのです。
ハンナの子ども時代は遊びの世界で、それは素晴らしものでした。ハンナのような素晴 らしい子ども時代を送らなかった私は、わが子には自分のような経験はさせたくないと思ってい ましたが、私達の求めるような学校は見つかりませんでした。そこで、私たちは学校について考えるようになりました。どんな学校が良い学校なのだろう。学校とはいったい何なんだろう?と。
私たちは、学校は、子どもと社会が出会うべき場であり、子どもと社会が必要としていることを満たさなければならないと考えました。
歴史を振りかえると、人類は百万年の歴史がありますが、子どもは、学校の中ではなく、 ずっと地域社会の中で自然に育ってきたということに気がつきました。学校は150年前 に産業化社会を迎え、子どもの安全を守る必要性から生まれ、そして産業化社会から情報化社会へと移り変わる段階で不幸にも、社会が学校を必要するようになってしまったので す。
そして、教育学者が学校を作ったとき、とても重要なことを忘れていたことを知りました 。それは、子どもたちは、成功したがっているということです。今の社会で大切な事は、 成功した大人になるということなのです。これは、人間が種として生き残りをかけて前進 していく存在だということです。そうでなれば、人類は絶滅してしまいますから。
このような考え方は、これまで誰も話してこなかったことでした。そこで私たちは、このことにつして皆さんにお話したいと思います。
《子どもの素晴らしさ 》
子どもたちの何を大切にしていかなければならないのか、私たちの体験を通して学んだこ とをお話します。
子どもたちの素晴らしさは、まず問題解決能力にあります。一才半の子どもは、テーブル に捕まったり、テーブルクロスを引きずり落としたり、毎日、歩く練習をしながら、たく さんの問題に直面し、そしてそれを解決しながら習得していきます。このような解決能力 は、生理的に備わっています。
また子どもは、好奇心の固まりで、死ぬほどの知りたがり屋です。アメリカでは、二歳児 は、「恐るべき二歳児」と言われていますが、家中を駆けめぐり、メチャメチャにしなが ら多くを学ぼうとします。このような子どもの好奇心を満たしてやることは大切なことで す。
息子が二歳半のとき、私たちは、子どもを動物園へ連れていくことにしました。駐車場か ら動物園までは遠く、遊歩道を延々と歩いていかなければなりませんでした。ところが息子は、遊歩道に敷かれたブロックのパターン模様がすっかり気に入ってしまったのです。 そして一時間半もそこにしゃがみこんでしまい、おかげでその日、私たちは、動物園へたどりつけませんでした。
子どもたちのエネルギーも、すごいもので、それについていける大人はほんのわずかです 。私の娘は、子どもの頃、大人は、なんて疲れていてノロノロしているんだろうと思っていたそうです。それで、大人になってそうならないように、今のうちにいろいろやって おこうと思ったそうです。
また、子どもは忍耐力があって、自分が納得するまで何度でも繰り返して行います。一才 の子どもが、何度も何度もドアを開けたり閉めたりする姿は、ほんとクレージーで、もの すごい関心と集中力です。またこんなこともありました。
ある朝、七時ごろから孫娘が遊び始めたのです。朝御飯を食べようと行ったら、「遊んで るの!」と言われてしまいました。三時間後、お腹がぺこぺこになった私たちが、「そろ そろ朝御飯にしないかい?」と言ったらところ、彼女は怒りながら「またぜんぜん遊んで いないの!」っていうのですよ。さらに、子どもの能力には、自己批判や、他の大人や 子どもを批判する能力があります。息子が三才の頃、私は一緒に野球遊びをしていました 。子どもがボールを打ったので、良い父親がするように私も「よし、よくやった!」と言 ったんです。そうしたら、息子が怒り出して「もうパパとやらない!」と言うんです。「 なんで?」と聞くと「パパはうそつきだ!」ってね。判断力も、小さな子でさえ、自分が 何かする前にどうやろうかと考えます。
《遊びの重要さ 》
子どもたちにとって、さまざまなことを学ぶうえで大切なのは、観察すること、体験、そ して、遊びです。今まで、子どもの遊びがどんなに大切かということは、話あわれてきま せんでした。そこでここでは遊びについて特に話したいと思います。
遊びというものは、始まった段階では、それがどう発展するのかまったく見当もつかない ものです。たとえば、大人が木材を与えられたそします。最初に本棚を作ろうと思っ たら、最後まで本棚作りに専念することでしょう。でも子どもたちはそうではありません 。木の材料が最後にどうなるのかは見当もつかないので人生もそれと同じで、常に移 り変わっていきます。毎日、同じことを繰り返しながら過ごしていますが、事前に結末が わかってやっているというわけではありません。先がどうなるかわからない人生の中で、 大切なのは、いつも居心地良く過ごすということです。子どもたちが、思いのまま、のびのびと遊ぶということです。遊んで、遊んで、遊びまくる。子ども時代の遊びは、人生においてとても大切であり、この情報化社会の中でやっていくには、特に遊びが大切な要素 になっていきます。
言葉を使いこなす遊びとともに大切なことに、人と意思の疎通ができるということがあり ます。子どもは二才になると話しはじめます。人と言葉で会話をするということは、人生 の中で最も難しいことです。言葉は人の心の窓を開きます。そして、言葉を通して世界や、人の考えを知ることができます。また言葉は、人類が作り上げてきたもの伝えていくの です。そして、そのために話すのです。学ぶために話します。そして人の話を聴いて学ぶのです。
《民主主義の大切さ》
次に、現代の子どもたちに何が必要であるかを考えるには、今世の中がどんな状況にあるかを知らなければなりません。
20世紀は民主主義の時代です。私たちは、この民主主義という流れに逆らうことはでき ません。民主主義には、不可欠なことがみっつあります。ひとつは、個人の人格を平等 に尊重するということです。百年前、女性にはそれがあてはまりませんでした。民主主義 は男性のものであって、女性は子どものようなものとして扱われたのです。20世紀にな ると、女性も尊重されるようになりました。これは子どもを一人の人間として尊重するこ とでもあります。
二つ目は、民主主義では、どんな人でも平等に社会に参加できるということです。特定の ものが力で社会を決定することはありません。
三つ目は、自由になることを学ぶということです。自由であることの責任に対する認識を持ち、他社の自由を尊重するのです。これは、言うことはやさしいのですが、十年前、ロ シアが、突然、自由を獲得したとき、市民が自由について何も知らず、大混乱が起きたの を見て、私たちは自由になることの難しさを知りました。
《成功する人材》
現在のような情報化社会の中で、企業は、成功をおさめる人間を探しています。それは、 創造的で、自ら進んで物事に取組、責任を持って行動し、判断力を持ち、人とうまくやっ ていく能力を持った人です。
これは、私があるシンポジウムに参加していたときのことです。世界的にも最もハイレベ ルな設備を持つカリフォルニア大学の図書館の人事担当者が、職員を募集していると言い ました。募集じょ条件は、よっつです。創造的で、好奇心に富み、責任を持って仕事に取 り組み、柔軟性のある人というのです。
私が、コンピューターや図書の知識がなくてもいいのかと尋ねたところ、全く必要がない と言うのです。つまり、そんな人材なら、図書館のこともコンピュータのことも直ぐにマ スターしてしまうというのです。そして、もしこの四つの能力がなければ、どんなに専門的な知識があっても雇うに値しないというのです。このように、今がどんな時代であるか を考えることで、私たちは、子どもに何が必要であるかを知ることができたのです。
以下の文は、肉体と人間精神活動、メンタルトレーニング法の研究開発に取り組みながら、多くのスポーツ選手を育てる一方、不登校、学習障害、家庭内暴力、その他精神障害児童・生徒のカウンセラーをされている長谷川一彌さんに許可を得て転載させていただきました。
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(株)シンパシィ・ユニオン
ヒューマンプロデューサー 長谷川一彌
E-Mail : sympathyunion@hcc1.bai.ne.jp
URL http://www.sympathyunion.to
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆はじめに
私は、スポーツが上達するための考え方として「努力よりもコツの習得が優先される」ことを体育協会のセミナーやクラブ指導の教職員セミナーで常に訴えております。頑張れ!努力しろ!と言っても自転車に乗れない子供はサイクリングには行けないのです。ですからスポーツを本当に楽しむためには「自転車に乗れる」というコツが重要であることを理解して頂きたいのです。例えば野球では、的にコントロール良くボールを投げることができる。ボールの動きに集中して身体が自動的に動く。バットで確実にボールを当てることができるなどです。
■運動記憶学習の優先順位(身体に覚えさせなければならないこと)
パソコンにはオペレーションソフトとアプリケーションソフトがあります。これと同様に人間にも脳と筋肉を統合的にコントロールするための基礎的運動記憶とバッティング技術などの応用的運動記憶があります。
例えば、基礎的運動記憶は、自転車に乗れる、水に浮く、箸で豆をつかむ、目を閉じ片足で立てる、的にコントロール良く物を投げることができる、物を正しくつかむことができる、どこに行っても東西南北の方角が分る、などなどです。また、応用的運動記憶は、自転車なら二人乗りができる、両手を放して自転車に乗れる、その場に止まったまま自転車に乗れる、変化球が投げれる、より速いスピードで投げれる、ジャンプしながらコントロール良く投げれる、イレギュラーバウンドのボールをキャッチできる、などなどです。
基礎的運動記憶は、子ども達が幼少の頃から虫取りやビー玉遊び、べったん、コマ回しなどの遊びをたくさん経験しておれば自動的に運動記憶学習(インストール)されます。しかし、親やスポーツ教室などで管理されすぎた子供達は、基礎的運動記憶(オペレーションソフト)が未完のままで応用運動記憶(アプリケーションソフト)がインストールされますので現実には応用の利かないスポーツ選手に育ってしまいます。
私は、「運動記憶学習の優先順位はオペレーションソフトのインストールから」をミニバスケット、Jrテニススクール、少年野球等の指導者講習会では常に理解していたくようにお話をしています。
■運動記憶学習のオペレーションソフトとは
私達の目は、物を見るための器官です。しかし、「何を見ているのか」「どんな情報処理をするのか」は、個々人の脳内の意識(プログラム)によって異なります。例えば、デットボールを恐れているバッターは、ピッチャーから投げられたボールを見て「自分に当るか当らないか」の情報処理をしてしまいます。また、常に指導者から怒られそれを恐れている選手は、「怒られないようにする」という情報処理をしてしまいます。人の顔色を見る子どもはこのような脳内の情報処理記憶(オペレーションソフト)を作ってしまっています。
野球において、目は何の情報処理をしないといけないのでしょうか。それは、刻々と変化するボールの動きを見て身体を動かすやバットに上手く当てるための情報処理をすることです。また、キャッチャーが構えたミットにピントを合わせてコントロール良くボールを投げるための情報処理をすることです。この処理をするための運動記憶(ソフト)がオペレーションソフトなのです。
■ジュニア時代はオペレーションソフトのインストール時期
近年の大脳生理学の研究によりオペレーションソフトインストールの最適時期が明らかになってきました。その時期は、脳神経細胞の髄鞘化が終わる時期であることが分ってきました。髄鞘化とは、脳神経細胞(ニューロン)のネットワークが固定される状態をいいます。例えば、日本人の子どもで外国で生まれ育ち外国語をぺらぺら喋っていた子が10歳頃までに日本に帰国しその後日本後の中で生活すると外国語をすっかり忘れて喋れなくなります。これは、10歳までの脳は、神経細胞をつなぐ軸索(電線のようなもの)が固定されていないので日本語という刺激が入ると外国語の記憶回路が日本語の記憶回路になるように軸索のつながりが変更されてしまうために起きる現象です。
しかし、12歳くらいまでその外国語を使う家庭であれば外国語と日本語の両方を話せる子どもになることが分ってきました。このようなことから大脳生理学的に見てスポーツの世界においても同様であることが研究で分ってきました。
追跡調査では、12歳頃まで基礎的運動学習を最優先に育てられた子ども達は高校大学でその能力を驚異的に伸ばしていることが判明しています。私自身の経験においてもテニスのジュニア育成において基礎的運動学習を12歳まで取組んだ子ども達は、ほぼ全員がジャパンランキングに入る選手に成長していますので確信を持っております。
後編は、具体的なオペレーションソフトとそのインストール方法をお届けしたいと思います。
子どもたちは、こうして生き学びます。
批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
敵意にみちて育った子は、だれとでも戦います。
ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
はげましを受けて育った子は、自信を持つことを学びます。
ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。
思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。
人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。
(THE NEW BOOK OF KNOWLEDGE)
Children Learn What They Live
by Dorothy NolteIf a child lives with criticism, he learn to condemn.
If a child lives with hostility, he learns violence.
If a child lives with ridicule, he learns to be shy.
If a child lives with shame, he learns to feel guilty.
If a child lives with encouragement, he learns to confidence.
If a child lives with praise, he learns to appreciate.
If a child lives with fairness, he learns to justice.
If a child lives with security, he learns faith.
If a child lives with with approval, he learns to like himself.
If a child lives with acceptance and friendship, he learns to love the world.