2010年6月アーカイブ

yoga.jpgサイコセラピーでは、患者さんの問題の原因を過去に探すことが多いです。現在の心理的問題は、ただ現在のストレスや事のなりゆきで発生したのではなく、その原因は過去の何らかのトラウマであると言う考えです。そのトラウマが心の中に潜み、現在のストレスによって病気として再発すると言うのがおおざっぱな考えです。そのために、過去の経験をよく調べて、問題となるものを探求します。過去のことをよく覚えていること、又は思い出すことができることが、大切になったりします。

ところで、未来は存在しません。私達は、未来について予想したり、想像したりできますが、それについてどうこう事実であるかのように、述べることはできません。ですから、サイコセラピーでも、未来の未だ起こっていない事件が、ストレスとなって現在の問題を引き起こす、などということはあまり言わないでしょう。しかしながら、未来についての想像が、現在のストレスとなることは、決して少なくありません。例えば、来週に大切な試験があるとすれば、それを想像するだけで、いろいろな感情反応が起こり、ストレスとなって夜も眠れなくなることがあるでしょう。

未来の存在感は、過去の存在感と比べると少ないですが、実際に過去はそのように言うほど存在しており、現在の問題にインパクトがあるのでしょうか。ここで、過去の存在がどのように生まれてくるか、見直してみようと思います。

一般的に、過去は私達の記憶として存在します。何年前にこういうことがあったと思い出して、過去の存在を感じます。完全に忘れてしまった事柄に関して、過去は存在しません。そのことはなかったことと同じです。では、過去は私達の記憶以外のところで存在をしないのでしょうか。

アルツァイマー病にかかった人は、病気の進行と共に、記憶をどんどん失っていきます。最初は身の回りの新しい情報を忘れてしまうことから始まります。でも、最終的には過去の記憶も消えてしまい、自分がどこで生まれたのか、誰と結婚したのか、自分と言う人物の過去も、どんどん忘れてしまい、自分の人生が消えていってしまいます。その人にとって、過去は存在しないのと同じです。

でも、その人には過去の写真があります。卒業式の写真がちゃんと残っているではないですか。誰が見ても、その人に過去がありました。にもかかわらず、その人が写真を見て自分を認識できなかったらどうでしょう。自分はそこにいなかったのです。その場合、その人にとって過去は存在しません。すなわち、過去が存在するには、過去に何かが起こったかが問題ではなく、現在本人が記憶や認識力を通して、事柄を頭の中に描けるかということです。その上、描いた物は実際に過去に起こったことと一致するかどうかは問題ではありません。実は、何かが過去に起こったと思うだけで、過去の存在が始まるのです。つまり過去は、それと言って独立して私達の外に存在するのでなく、私達が考えるごとに存在が起こると言ってよいでしょう。

もしそうだとすれば、過去のトラウマは現在の心の問題の原因となりうるのでしょうか。過去が脳の中で、何かの生理的変化を伴うと同時に作られるのであれば、その現在の生理的変化が心の問題を引き起こしますが、一般的に言う過去が問題の原因となるとは思えません。

したがってサイコセラピーで、過去の存在を前提とし、その中で問題の原因となる事柄を追及することは、意味がなくなってしまいます。その代わり、過去のことを話すのであれば、そう言われるものが現在どのように作り上げられているか、どのように認識されているかを調べることによって、心の問題の今に関連する原因を明らかにするができます。

歴史は、語われる前、書かれる前に存在はしません。そのとき何が起こったかは、誰かが認識して語るまで存在しないでしょう。その後、何事やらをどのように語るかによって、歴史がつくられ、過去の存在が発生します。人によっては、事柄の認識の差や、語り方の差が出てくるのもしかたがありません。ですから、何通りもの歴史があっても不思議ではありません。

恋愛についてもう一度

renai.gif他の科学と同じく心理学も発展を遂げて、今までよく理解できなかった事柄について新しい見方ができるようになります。恋愛については過去にも何回か触れましたが、事柄自体が簡単そうであり、でもよく見ると、非常に複雑なものでもあります。「どうして恋愛をするんでしょう」というような質問は、哲学的な答えしかなさそうですし、どうしてそんな質問をするかということじたい、問題になりそうです。

今回、恋愛について付け加えたいことは、なぜ恋愛中に自尊心が上がるのか、という問題です。経験からお解りと思いますが、恋におちいると相手がすばらしい人として見えるだけでなく、その人とつながっていることによって、自分が最高に感じる事があります。それがどのようにして起こるのか考えてみようと思います。

人は大人になっても結構主観的な見方から離れなれないもので、他の人を自分と同じと見る傾向があります。例えば自分がある映画が好きだとすれば、他の人も自分と同じように楽しめるのではないかと思います。自分があることを気にしていれば、相手も同じことを気にしていると考えがちです。このようなプロセスを投影といいます。人は自分の何かを投影することによって、相手と一緒になります。つまり同一化します。

異性の理想のあり方と言うものについて意識したことはあるでしょうか。顔や姿、動き方、態度、性格、話し方などの自分にとってアピールするものは意識できるかもしれません。面白いことに異性の人がアピールするものを持っていて、その一つ見出すと、続けて自分のリストの他の部分も見つけ出せるときがあります。すなわち、一つをきっかけに他の特徴を投影しだすのです。相手にそれがあるかどうかは、解りません。でも、投影が始まると、自分の見たいものを相手に発見できるのです。というか、勝手にあると信じこみます。自分の理想を投影しましたから、相手が理想に見えてきます。この状態を恋に陥ると言ってよいでしょう。

相手が立派に見えて、輝いて見えて、最高に見えます。しかしながら、その要素は自分の所から出ていて、それが投影されたものですから、居心地がよいことは間違いありません。今度は、自分が相手の理想の部分と同一化します。その理想はもともと自分にあったものですから、それを自分と同じと思うのは難しいことではありません。そしてそれが次のステップと発展していきます。

投入と言って、相手のある特徴を自分の物にしてしまうプロセスです。恋する相手と同一化した後、その理想の内容を自分の物にしていきます。相手のすばらしい部分が自分の物になってしまうのです。その結果自分も素晴らしい人になります。結果として自尊心が上がるということになります。つまり、このプロセスをたどって見ますと、自分の理想が相手に投影され、それと自分が同一化し、そして今度はその理想を投入します。自分の物が相手に行って、また戻ってきました。不思議な話です。

このような面倒なプロセスを通して、何かよいことでもあるのでしょうか。実は、これは、赤ちゃんがお母さんに自分の気持ちを投影し、今度はそれを投入するのですが、ついでに、お母さんの何かをも含めて投入し自分の物にするのと同じなのです。そうすることによって、子供が母親の何かを吸収し学んで自分の物にしていきます。

恋する人の何かをも自分のものにしながら、自分がちょっと大きくなったという感じでしょうか。