子供がしゃべりたい、コミュニケーションをとりたい、と思う気持ちが大切
By yukibo

「バイリンガル教育」のコーナーの冒頭のレポートを読んで、我が家の5才になる息子が日本に里帰りした時のことを思い、なるほどな、と妙に納得してしまいました。うちの息子は言葉が遅かったため、今まであまりバイリンガルを意識せずにきました。以前は多少の日本語の単語(動物の名前等)を言っていたのですが、アメリカのプリスクールに通わせているのもあって、いつの間にか全て英語になっていました。しかし、昨年、里帰りを前に少しは日本語をしゃべらせたいと思い、機会あるごとに「日本語でしゃべってごらん」、「ほら、知ってるよね。ネコ。ネコって言ってごらん 」と私が言っても、息子は「No! Cat」と、ガンとして言えるはずなのに言ってくれませんでした。


ところがどうでしょう。日本についた三日目ぐらいから、会話の中に日本語が混ざり始め、たった1ヶ月の滞在で、アメリカに戻る時は90%が日本語(もちろん流暢にはしゃべれませんが)になっていました。息子もきっと必要に迫られたのでしょう。おばちゃんやおじちゃん、おじさんと理解し合える言葉を使ってお話しがしたかったのでしょう。このことがあって、半ば諦めていたバイリンガルの道も今からでも遅くはないと、やってみる気になりました。何より子供にとって、必要なのはおしきせの語学教育ではなく、本人がしゃべりたい、共通の言葉を使ってコミュニケーションをとりたいという気持ち、意欲なんだ、と思いしらされました。


今、息子は再び英語中心の生活に戻ってしまいましたが、日本語をしゃべるお友達の中では自然と日本語もでるようになりました。日本語で返事が戻ってこなくても、いつかまた必要な時に簡単に取り出せるように、私が日本語で話しかけ、インプットし続けるつもりです。そして、両方の言葉のグループに常に子供達を属させてあげることが、私のバイリンガル教育です。

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A Parents' and Teachers' Guide to Bilingualism

by Colin Baker

子供をバイリンガルにするために家庭でできること

両親がネイティブ・スピーカーでない場合で、親の語学能力以上の 外国語を身につけさせるためのアイデア

子供に外国語を学ばせるにあたって、親自身がその外国語に興味を示し、学ぶ姿勢を示 すことも大切です。そのために、親がすべきことは・・・                

母国語は家庭で、外国語は家庭外で学ぶという考え方は、間違っています。なぜなら親の 態度、励まし、興味が子供の外国語(第二言語上達)において非常に大切だからです。親 の姿勢が、前向であることが大切なのです。また、子供が、第二言語を使用した時には、 ほめてあげることも、とても大切です。

子供に外国語を学ばせるにあたって、親自身が外国語学習に興味を示し応援することは非常に大切ですが、あまりに熱を入れすぎてしまうことは危険です。このことは、子供に第 二言語を学ばせようとする全ての親が気をつけなければならないことです。

言語学習とい う子供にとってはゲームのように楽しいはずのものが、あまりに厳しくなり、罰則がきつ くなりすぎるやいなや、こどもは創造力も、学習意欲も失せ、親の押しつけに対して防御的になり、さらにそれが親子間の戦争へと張ってしていくのです。親が一時的な小競り合 いに勝つことがあっても、戦争自体に勝つことはありえません。なぜなら、外国語教育の 成功は、親子の協力によってしか勝ち取りえないからです。

 

外国語上達には、インターアクティブ
(相互作用:かかわリ合い)であることが重要

もし、英語を使用しているテレビの前に座らせっぱなしにしたり、家庭内で英語のカセッ トテープをかけっぱなしにしても、幼児は英語を話せるようにならないどころか、理解さ えもしないでしょう。このような受動的な外国語との接触はある程度、子供を刺激し、後にその言語または他の外国語を正式に学ぶことになった時に、言語習得能力を増加させうるかもしれません。

でも、第二言語で実際にコミュニケ−ションできるようになるためには、子供はその言語をインターアクティブ(一方通行でなく、その言語を使って実際に人とかかわりあるということ)に使用しなければなりません。外国語の使用がよりインターアクティブであればあるほど、子供はその言語を習得します。

たとえば、母親がドイツ語を話すのを聞いてはいるが、ドイツ語で答えることを拒絶する子供は、母親 から同じ位の量のドイツ語を聞き、さらにドイツ語で答えようとする子供ほどには、言語が発達しないでしょう。

子供の言語習得能力を最大限に引き出すには、子供がその言葉をインターアクティブに使うよう、親ができるだけクリエイティブな学習法を見つける必要がああります。たとえば、第二言語で本を読んであげる時に、本の内容について質問したり、遊んでいる 時にも子供の気持ち、意見、興味などを第二言語で表現するように質問したりするのです 。

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「Sweet Heart」ゲストブックから

見ました 投稿者:S.L.Leisibach-Fukui  投稿日:03月04日(水)08時08分24秒

HP拝見しました。我が家は私(日本人)と夫(スイス人/ドイツ語圏)と息子(6ヶ月)の 3人です。息子には日、英、独のtrilingual教育を試みています。bilingualでも大変なこと なのに、さらに欲張って3つもというのはどうなるかわかりませんが、まあ、やれるだけ やってみます。「一親一言語」の原則プラス、家族が揃えば英語にする、というルールです。 こちらではbilingual schoolもあるので、それも検討中です。

 

バイリンガル 投稿者:庄島 美香@Sydney  投稿日:03月05日(木)22時46分43秒

ちなみにうちの家庭での会話は日本語中心です。夫はスリラ ンカ人で(あの国の人はたいていかなり高度な英語の読み書き会話ができます、強烈なアクセントだけど) わたしもスリランカの言葉の読み書き会話が少しでき、3カ国語入り乱れてはいますが。家の外では当然英語ですが日本人の育児仲間がたんまりいて子供にとっていい環境です。

夫の日本語は癖のない流暢といえるものです。 夫に、子供にはスリランカの言葉で話し掛けてほしいと頼んだのですが、”恥ずかしい” (なんのことやら??)といって日本語で話しています。もったいない。ちなみにインド、パキスタン、 スリランカあたりは 東方と西方の交わる地点で世界中の言語にある音(おん)がほとんどはいっているそ うです。 5つの母音しかない日本語とえらい違いで、そのため、言語の聞き分け能力がすごくいいです。 日本人みたいにRとLがわからないなんてことがないのです。・・・・余談でした。

Bilingual School 投稿者:S.L.Leisibach-Fukui  投稿日:03月06日(金)20時17分01秒

由美子さん、こんにちは。 Bilingual Schoolにもいろいろあります。もともとスイスは国語が4つあるので、フランス語と ドイツ語を両方使う州(フリブールなど)では、昔からそういう教育をしているそうで、ある程度 のKnow-Howがあるようです。

私が知っているところでは、英語が優勢な子供には、英語で英語と 数学を教え、ドイツ語が優勢な子供にはドイツ語でドイツ語と数学を教えます。こうしたCore Subject とは別に、芸術や環境と人間などのImmersionと呼ばれる科目では、英語とドイツ語のnative speaker が一人づつ教師としてつきます。学年が上がるにつれて二つの言語の使用頻度が均等になるように、 カリキュラムを組むそうです。

ただしここは小学校までで、中学からは地元校に進学するか、英語のインター ナショナルスクールに通うことになります。 学校としてはインターナショナルスクールの団体が要求している基準と、各州法で定められている教育課程 の両方を満たすように、授業内容は設定されるそうです。 でもスイスにある私立の学校は、授業料がメチャ高なのには最初びっくりしました。幼稚園で年間US.9,000、 小学校ではUS.18,000もします。他の国でもやっぱりこんなに高いんでしょうかねえ。

 

三カ国語バイリンガル MIKA……

スイスはお国柄大変だろうけどイマドキのバイリンガル事情って2つや3っつの言語がすらすら出来るのって当たり前みたいだよね。ドイツも私立になると学校の月謝はいきなりものすごく 高いです。公立(国立)のレベルがかなり一定してるし、進学システムが厳しいので私立に入るというのは 何か特別な意義でという場合が多いようです。息子は1歳3ヶ月ですが将来は最低3つの言葉を理解しなけれ ばならなくなるでしょう。と、いうのも母(私)は日本人で日本語で接して、父(夫)はドイツ人でドイツ 語で接しています。

私と夫は南米で知り合ったことで結婚後もスペイン語で話し、共通の親友達、親戚に近 い人々が皆スペイン語を話します。今のところドイツにいるのでドイツ語、日本語を徹底していますが、年 に一度は南米にいき、年に一度は南米からの来客が来るなかで、親としてはやはりほんの少しでもしゃべれ たり、興味を持って欲しいです。でも、親が興奮してフィーバーしちゃってあんまり強制するにも、将来の ためと勝手にプランを決めるにも息子は小さいので、大きくなって必要に迫られたら徐々に学校のこと、考 えていこうとおもっています。ひとつの言葉(たとえば母国語)がしっかりしていて、常に探索され、進化 に鋭ければ、他の言葉は興味とイメージでうまくやれると思います。

レベル(指向)を高くと望むのは親の 経済力によります。本当にその言葉が好きになってくれたらきっと使いたくてウズウズするでしょう。私も そのウズウズを体験したので息子にも体験して欲しいです。(これってやっぱ強制かな?)いずれ、近いう ちにやってくるでしょう。今はとりあえず夫婦内だけスペイン語で話しています。

 

親が別の言葉だと子供が焼きもち? 投稿者:S.L.Leisibach-Fukui  投稿日:03月07日(土)19時35分30秒

mikaさん こんにちは。私の知人にもスペインで知り合ったのでスペイン語で話している スイス人と日本人の夫婦がいます。でもここにいるスイス人日本人のカップルの大多数は 英語留学中に知り合ったので、ほとんどが英語で話しています。でも、「パパとママだけが ボクにわからないことばでおしゃべりしてる!」と焼きもちをやくので、結局家族で話す 時にはドイツ語になった、という家族が多いです。

私としては焼きもちよりもmikaさんのおっしゃるように、「パパとママが話してるんなら ボクも!」と興味を持ってほしいと思っています。うまくそっちへ持っていくことって、 難しいんでしょうかね。強制してどうなることでもないけれど、自然に興味を持ってくれる と同時に、親がそうなるように、環境を整える(親も外国語に興味を示しつづけるとか) ことも大切だと思います。何かうまい方法はないかなあ、といつも考えています。

 

もっと気軽に考えても良いのでは? 投稿者:Miwa  投稿日:03月08日(日)00時38分14秒

こんにちは。お国が違えば子供のバイリンガル教育に関する悩みもいろいろですね。 我家は私と夫が英語、子供同士は(娘2人)スイス語&日本語、私と子供は日本語、 夫と子供達はスイス語、と最低3カ国語が、家庭内で入り乱れています。 おまけに去年から、上の娘は公立小学校でドイツ語を学び始めています。 私達家族もS.L.Leisibach-Fukuiさんと同じく、スイスのドイツ語圏に住んでいます。 我家の娘達にかぎって言えば、あまり意識しないで言葉を使い分けているようです。

日本語は日本に住んでいる同年齢のお子さん達に比べれば、程度は劣りますが なんとか今の所、普通に会話できます。最近は私たち夫婦が英語を話しているのに 興味を持ち、「英語ではなんていうの?日本語では?ドイツ語では?」と質問を受けます。 本人達にとって3カ国語も4カ国後もさほど違いはないみたいです。 私にしたらとても羨ましい事ですが。

スイスでは一般的に(ドイツ語圏)小学校上級生に なるとフランス語が必須科目として入ってきます。そして中学ではイタリア語、英語が選択 授業として加わります。あ〜おそろしや。この現状を前に、どうやって子供達の日本語能力を 維持させるかが私のこれからの課題です。誰かがおっしゃっていた言葉が私の頭の中に 今でもあります。「財産が無い私が子供に残せる物は、私の母国語である日本語です。」 う〜ん!財産を残せないのは私も同じなので責めて日本語を子供に残してやりたい私です。

 

息子の幼稚園 投稿者:REIKO  投稿日:03月10日(火)11時03分22秒

子供は現在1歳5か月ですが来月からLocalの幼稚園に入ります。 子供がせっかく覚えてきた北京語に対して双方向コミュニケーションが出来ないのは問題があるので、私も中国語を勉強中です。 今までは日本語か英語でコミュニケートできる人としか付き合いがなかったので、台湾人の方とも限られた層の方としか深いお付き合いができませんでしたが、北京語や台湾語を習得すれば、さらに台湾社会で暮らしやすくなるのではという期待はあります。

以前息子は日本語・英語・北京語と同じように耳に入ってくる環境で 日本語や英語のビデオは好んでみていたのですが、北京語となると少し興味が散漫になるようだったので、私が北京語をあまり話さないからではないかと悩んだことがありました。 幼稚園については、私が産休明けから仕事を始めており、息子が保育園での集団生活も慣れているので特に心配はしていません。

その幼稚園はこじんまりした所だけれども、日本語の出来る先生もいます。 その園は9時〜3時なのでWMはいないので、3歳〜6歳がメインで それより小さい子はほとんどいません。(託児所に行ってしまうので) 御勉強中心ではなく体を動かしたり遊んだり、個性を伸ばす教育を しているところなのでとても気に入りました。 うちのこも体験入学させてみたのですが、とっても楽しく遊んでました。

私は子供に「海外生活」を前向きに捉えて欲しいと思っています。 だから親もそういう姿を見せるべきで、日本と同じ生活をしていては 私も仕事を中断させて、台湾に来た意味がありません。 主人は日本人ですが、ここにどれくらいいて、この後どこの国に行くのかはまだ分かりませんが(5年くらいだと言われてます) 彼にも台湾でしかできない経験をして欲しいと思っています。 まだ小さくても彼がここで生活したことが、生涯の糧になってくれればと願ってます。

子供も現地の子と遊んでいる方が伸び伸びしてるし・・・。

 

幼稚園 投稿者:びりけん  投稿日:03月10日(火)10時31分18秒

台北だと日本語幼稚園というのがあっていいですね。 新竹には台湾人の幼稚園しかありません。だから、日本人の子供は現地の幼稚園か アメリカンスクールに行きます。 アメリカンスクールへは、3カ国語をしゃべる子に育てようという、親の野望から行かせた 方がいますが、言葉が判らないので子供がストレスを感じてやむなく断念したそうです。

両方日本人の親の子供も新竹では普通の幼稚園にがんばっていっています。 私立で給食だそうですが、どうも食べられないということで、お昼で帰ってきます。 ママも北京語があまり判らないので、幼稚園でプリントとか渡されても、判らないそうです。 だから、遠足の日とかも、知らないで普通に登園したところ、みんなに”私たちがお弁当も おやつもあげるし、一緒に行こう!!”とさそってもらって、行ってしまったそうです。 ”まあ、なんとかなるよ”と、ママはいっています。 でも、雨が降っている、とかいって週の半分は休んでいるそう。

私たちは両親とも日本人の親達でホームスクールのようなことができないか、最近考えています。 それも、こちらでは短期(2から5年)赴任者が急増しているからです。 でも、台湾人と結婚された、ママ達とは少し悩みの質が違うようですね。参考にならないかも。

 

言葉って… 投稿者:MinMin  投稿日:03月12日(木)20時26分58秒

まだ子供がいないのに登場させていただきます。 ベビーシッターみたいなことやってた時に感じたことがあります。 イタリア人のママから生まれた兄弟でした。 1歳上のお兄ちゃんは日本人のおばあちゃんの家で育ちました。 だから日本語しか出来ません。 けれど顔はお母さんに似ていました。 弟はお母さん子でイタリア語を喋りはじめました。 ところがお父さんが[日本語をしゃべりなさい]と叱ってから 言葉を出さなくなりました。 活発だったお兄さんの方も小学校に入ると顔の違いからいじめられました。 [ガイジン]と呼ばれ,イタリア人の母に反発しました。

一方,弟の方は失語症状態になってしまいました。 父親が家の中でイタリア人の母親に対してイタリア語を使っているのです。 母親べったりの子供が日本語が出来ずにイタリア語を選んでしまうのは 必然だったのです。 それを喋ることを禁止してしまった。 今,中学3年になる弟の方は学業についていけないと判断されているそうです。

言葉ってどうやって習得していくんでしょう。 本日,集まったママさんは全部日本人でしたが, そこに来た子供達の父親はフランス,日本,台湾と様々でした。 それでも仲良く遊ぶ子供達を見ていると [言葉ってなんなんだろう] と考えてしまいます。 私は子供が未だいないですけれど, 子供が出来たら広い視野を持った子になってほしいと思います。 言葉にはイデオロギーや政治的なものは介入してこないはずです。 何語が出来るからエライとか,そういうことは絶対にありえない。

私の生む子供は日本人でもあり,台湾人でもあります。 両親が日本人同士という子供に比べて若干状況は違うでしょう。 でも,国籍が同じであっても,どこの家庭でも親同士は元は他人です。 その両方の価値観を上手く折衷させながら子供を育てていると思います。 同国籍結婚であろうと異国籍結婚であろうと大事なことは 別の人の価値観を尊重するということでしょう。 安易に[自分は日本人だから]という考えを持っていると狭い視野でしか ものごとを見る価値観しか育てないかもしれません。

何言ってんだか解んなくなってきました。 つまりは[うちは日本人同士だから相手が外国人の場合と違う]なんてことを 言われると [そりゃ百も承知だけどね,うちの子供とあなたの子供はどう違うんですか?] と聞き返したくなります。 良い教育の機会を与えてあげたいと思うのは普通のことだと思います。 お受験という意味の良い教育ではなく,人としてのです。

外見やバックグラウンドやらで排斥する人をイタリア人兄弟の時にいやというほど 見てきました。 彼らの傷ついた表情を見てきました。 彼らの母親がつたない日本語で涙するのを見てきました。 [違うから] と言い切ってしまうことは簡単です。 だけど,極端なもの言いをすれば人間なんて一人として同じ人はいないのです。 私自身がイタリア人の彼女と同じようなことになるとは その時は思ってもみなかったけど,あの頃から日本人同士の結婚の母親が 無神経に[あ,あの子のママはガイジンだからね] なんて言てるのを聞き,イヤな気持になってただけにそういう言葉に敏感です。 語学教育うんぬん,BILINGUALだ,TRILINGUALだ言う前に心の教育が大事って 思います。 まとまらなくてごめんなさい。

 

MinMinさん 投稿者:SweetHeart  投稿日:03月13日(金)04時35分57秒

私も、minminさんの御意見に共感しました。言語はあくまでもコミュニケーションに用いる 手段、道具でしかないわけですよね。やはり、いくらバイリンガルにしたくても、子どもの心を傷つけたり、親子のコミュニケーションがはかれないようでは、仕方ないですものね。

前にも書きましたが、「お父さんお母さんは、ぼくの(わたしの)しゃべる内容よりも、何語でしゃべるかの方が大切なんだ」って思うようになったら、親子の関係さえあやしくなりますよね。 何語でもいいから、家にいる時位、フラストレーションを感じない言語で思いっきり心の中のこと を話してくれる方が大切だと思います。

という私も以前は、息子に「日本語でしゃべりなさい」と結構、言ってた方なのですが。(英語は しゃべっちゃいかん、とは言いませんでしたが。)やはり、息子が最後は面倒くさくなって、話の 途中で「もういいよ。」と話を止めてしまうことがあったので、これはいけないと、もう何語で しゃべろうとうるさく言わないことにした次第です。

そりゃ、バイリンガル・トライリンガル結構なことですが、子どもの心、親子のコミュニケーショ ンが、やはり先決ですよね。MinMinさんの書いてくださった御意見は、そのことを、実に よく物語っていると思いました。それに、今バイリンガル教育に失敗したとしても、もし、成長し て自分でやる気になったら、その時でも絶対遅くはないですものね。私の知り合いのお嬢さんは、 両親ともに日本人でしたが、英語オンリーで育ち、大学に入ってから、日本語を勉強して、今では 立派な日本語をしゃべっています。日本に今たくさんいる変な外人タレント達も、皆、成人してkら日本語を覚えた人がほとんどじゃないですか?それでも、日本人以上に日本語を上手に操れるのですから。

子どもの日本語教育に行き詰まった時、日本語がしゃべれても彼の人生にとってもいかほどのもん でもない。と自分に言い聞かせながら、気楽な気持ちで教えて行こうと意識的に努力してます。特 に、子どもはバイリンガルにという思い込みの強い方(私も、そのうちの一人でしたが、)Take it easy!

 

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幼児期からのバイリンガルの是非

OCSNEWSNo.555 June 20, 1997 「ニューヨークの日本人教育事情」より抜粋)

“『タイム』誌97年2月3日号の特集で、最新の調査・研究結果を消化しているが、その中では、言語習得能力が養われるのに最も決定的な時期は、生まれた時から6歳位までの間であると解説している。この間に将来使用する言語の発達を促進するための窓くち(Window)が開かれており、単語をつなげて文章を作る能力発達の窓口は5〜6歳で閉じてしまうと考えられるという。

その後も他の言語を学ぶ能力はなくならないが、年をとるにつれて困難んいなっていく。一方で、新しい単語を覚える能力の窓口は一生閉じないことが確認されていることなどを紹介している。

これは世界中のどの地域に住む民族でも、ほぼ共通して5、6際頃までに母語の基本的な文法が完成する、という事実とも合致する。従って、学校教育(学習言語)開始はどの国も文法完成後の6才頃からになっている。

動物行動学によると、同じ種類の取りのさえずりでも「方言」があることが知られている。基本的なさえずりはトリの種類である程度先天的に決まっているものの、さえずりを覚えるのは生後ある時期の決まった期間だけで、その期間が過ぎてしまうとまったく覚えることができなくなる。

これを「感受機」と呼ぶが、アメリカのレネバーグは、失語症の回復過程が大人と子供ではまったく違う経過をたどることを主な根拠に、人間の言葉の学習にも「感受機」があることを発見した。脳になんらかの損傷を受けて失語症になっても10歳以前であれば治ってしまう場合があることから、人間の感受機は10大の始め頃までとした。異論もあるが、おおかみに育てられた有名なアマラとカマラがほとんど人間の言葉を覚えなかったことを裏付ける理論である。

いずれにせよ、言語習得についてはいかに乳幼児期〜10歳頃までが重要かに異論を唱える人はないといってよい。前述の『タイム』誌の窓口は5、6歳で閉じてしまうが、環境や学習などによって、それを10歳くらいまで引き延ばせることにも言及している。”

ただOCSNEWSでは、『欧米のバイリンガル研究には、バイリンガルの子供の言語習得が遅れる、論理抽象思考が不完全になるなどの通説は間違い、といった論調のものが多いが、あくまでも、これらの研究は日英のバイリンガルの研究ではないので調査結果をうのみにするのは避けた方が良い』と言っている。つまり、欧米圏の言語は語系を同じくする場合も多く、共通点が多いが、日英語の場合、その差が大きく高度な抽象思考をこなせるまでに習得するには、かなりの学習時間と努力が必要だからだと述べている。

また、「生活言語と学習言語は違うので会話ができるからといって、即、勉強も、とは限らない。幼児期から小学校低学年までの5、6年の現地校生活は、子供によってはかなりのリスクがある」とのNY所在のこどものくに幼稚園園長の談も載せている。

さらに、小野博著『バイリンガルの科学』(講談社ブルーバックス)から、「外国帰りの子供達が、一見日本語も英語も流暢にしゃべって使いこなしているように見えても、読み、書きのテストをすると、どちらの言語も遅れていることが数多く報告されている。」という文を引用しバイリンガルどころか、日本であれば問題なく育ったであろう子供が、無理なバイリンガル環境のため、日本語も英語も中途半端な、いわゆるセミリンガルになってしまう危険性を指摘している。

『タイム』誌2月3日号の「FERTILE MINDS」を原文で読みたい方は、下のURLで!

  http://www.pathfinder.com/time/magazine/1997/dom/970203/cover0.html

 

同じ環境でも子どもによって違う言葉の早い遅い

オーストラリア  庄島美香

隠れSHファンでしたが、 最新のバイリンガル教育の記事のことでちょっと一言。”バイリンガルは言葉が遅い” というタイトルは誤解を受けませんか?言葉の早い遅いは本当に子供によっていろいろで、肝心なことは言葉の早い遅いは学業にまったく関係ないということでしょう。

SHの記事の中にも”アメリカの偉人には言葉の発達の遅い人が多かった”というのがありますよね。わたしの弟も2才半までほとんどしゃべらず親は心配したそうですが、あるころ突然しゃべり出し、おまけに最初からおませな文(単語でなく)だったとのこと。 今は普通のおつむで普通に暮らしています。

現在3才半の娘は1才過ぎで2語文を話し1才半で100語を越え”きみ、日本語うまいねえ”という感じで英語はかなり劣るものの幼稚園では困っていないようです。ところが 2才近くになる息子はやっと2語文すこし混じってきた程度、”言葉より行動”の人です。同じ環境でもこういうように差があります。

というわけで、バイリンガルでも言葉が早い子供はたくさんいますよ。その子にとっての第二言語のほうが第一言語ほどうまくないのが通常とのことです。

ちなみにオーストラリアも移民の多い国で小学生の半数近くが家庭での言語は英語でないそうですがでは、幼稚園などに入るまではその家庭での言語に力を入れるようにと、現在保健所などでは勧めています。

”バイリンガルは言葉が遅い”というタイトルは、子供の言語教育で戸惑っている多くの人に誤解を与えるのではと心配して投稿しました。

 

バイリンガル育ちは言葉が遅い?

アメリカ  しのぶ母

医者や他人に心配ないと言われても、どうしても他の子と比べると心配になります。うちもバイリンガルで、同年の子と比べると、異常ではないかと思うほどしゃべりませんでした。

子どもの成長記録を見てみると、1才10ヶ月の時、単語数は17個だけ。さらに、日誌をめくると、ちょうど2才半の時点に急に言葉数、センテンスの数が増えたとあります。この増加の引き金になったのは、夏休みを利用して、日本の同年の子どものいる親戚の家で3日間遊びまたくったことだったと記憶しています。

 

国際結婚=バイリンガルならず

イギリス みどり 

 最近、ちまたでは「バイリンガリズム」という言葉が流行、バイリンガルに対する興味が高まっており、それに関する専門化もたくさんいるようです。でも、「すいーとハート55号にもあるように、「海外にいても外国語を話す親がいても、子どもをバイリンガルに育てるということは、相当に難しいのでは?」

 子どもをバイリンガルにするのは、実際、不可能に近いほど難しいことらしいです。話せても書けない、書けても話せない、などの子どもが多いとも聞いています。しかし、国際結婚の家庭の子どもイコール、バイリンガルと周りの人は信じて疑いません。これは非常に困ったことです。

 我が家の長男は、胎児のころから父親は英語で、母親は日本語で話かけてきましたが、4歳になった今、英語しか話せません。とても言葉の遅い子だったのですが、ちょうど話し始めたころ、私が仕事をしていて、義母と過ごす時間が多かったため、スポンジのように英語を吸収したのかもしれません。おまけにこの9月から学校が始まり(イギリスの義務教育は5歳からですが、くひの子は早生まれなので4歳のスタートです)、英語一色の世界です。

 私が、何が何でも日本語のみで押し通せばよかったのかもしれませんが、通じないので、最近では日本語で話すことはほとんどないですね。特に怒っている時は・・・。 先日、息子に「なんでマミーは日本語で話すの?イギリス人は英語で話さなければ駄目だよ」と言われました。「アンタ、半分日本人だろーがっ」と言ったところ、「僕はイギリス人です。」って・・・。あ〜あ。第二のマイケル富岡にしようと夢見ていたのに・・・(笑)

 義母は、息子がバイリンガルになるものと信じて疑っていませんが、4歳の今、まったく日本語を話さないのに、ある日突然、ペラペラしゃべり出すと思っているのか?根本的にわかっていないので、ダンナも私も義母とバイリンガルについての口論は極力避けています。次男も同じ道をたどるのでしょう。

 ロンドンに住んでいれば、日本語の補習学校がたくさんあるようですが、うちは地方なので、その手の情報がありません。2〜3年後は、ダンナの転勤で日本という予定になっていますが、高いと評判のインターナショナルスクールに入れなければならないのでしょうか・・・。地元の公立へ行ってくれれば言うことナシですが・・・。誰かうちのボーイズに日本語を叩き込んでください。

SH(すいーとハート)コメント  ホント、我が家の長男ダニーも、完全無敵のバイリンガルから、ちょっとほど遠いですね。読み書きは、日本語補習校に通っていることもあり、なんとか平仮名、カタカナ、漢字ともにできるようになりましたが、やはりしゃべる方は、かなり困難をともなっています。日本に毎年長期で帰っていた2年前までは、まだよかったんですが、次男が生まれたりして帰らなくなった途端に、話す方はダメになってしまいました。

 それでも、できる限り、日本語に触れさせようと、去年、父親の出張に伴わせて1週間という短期間でしたが日本の私の実家にやりました。帰ってきた時は、1週間で、ここまで上達するものかと思うほど、日本語がなめらかに出てきていましたが、また1週間したら元の木阿弥になってました。

日本に滞在中、日本語補習校で仲良くしてて、おととし日本に帰ってしまった日本人の友達のうちにお泊りで遊びにいかせました。そのお友達は、駐在員の子でしたが、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、ダニーと遊ぶ時は、どんなに日本語で話なさい、と親たちが言っても、英語になってしまうほど、英語の上手な子でした。

ところが、今回、ダニーが遊びに行ったところ、もう英語はスッカリ忘れていたそうです(4歳で帰国して、現在6歳)。戦争花嫁でアメリカに来ているおばあさん達で、母国語さえも忘れてしまっている人がいる程です。いわんや、小さい子の外国語をや・・・です。

 

もろい子供の心を大切にしてあげて

("Mothering"より翻訳。あるドイツ人の母親のバイリンガル教育)

 家族にとって、外国に引っ越すということは、とてもワクワクするできごとだと思う。 私も夫も、ドイツを離れ2年間カルフォルニアに住むことに決めたときは、期待で胸がい っぱいだった。二人の息子たちは、4才ろ2才で、学校の心配もなく、引っ越しのタイミ ングとしてはパーフェクトだった。さらに、私たち夫婦は、子供が、外国語をアッと言う 間に身につけてしまうものだと信じていたので、息子たちがバイリンガルになり、しかも 英語という大切な言語を学ぶことができるのは、素晴らしいことだと思った。一方、見知 らぬ国に移ることは、子供たちにとって大変なこともわかっていた。彼らは、今まで親しんできた、とても小さな世界(そして、彼らが知っている唯一の世界)を離れなければな らないのだから。そして、友達や親戚と会えなくなってしまうばかりでなく、突然新しい 習慣や文化に直面しなければならないのだから。

 多くの友人は私たちに、「子供って、すごく早く外国語を身につけるよ。」と言っていたので、英語に関しては、恐らく問題ないだろうと思っていた。でも…「早い」と単に言っ ても、子供にとっては、とてつもなく長く感じられるかもしれない。特に、子供が幸せで なかったとしたら。

 

新しい言葉−どんな犠牲をはらって?

 カリフォルニアに越してからの最初の数ヶ月、4才の息子ベンジャミンは、様々な困難 に直面した。息子は、ドイツでは、毎日楽しく幼稚園に通っていた。カルフォルニアでも 、彼はアメリカの幼稚園に通って、新しいアメリカ人の友達を作ることを楽しみにしてい た。 良い学校を見つけ、息子もそこに通うのを心待ちにしていたのだが…新しい友達、見慣れない環境の中で、息子はとまどっていた。そして、私にしばらく一緒にいてくれるよう に哀願した。先生も、慣れるまでは、ということで、同意してくれた。私には、この幼稚園のすべてがパーフェクトに見えた。でも息子にとっては、パーフェクトからは程遠いようだった。息子は、先生も子供たちも誰一人、彼の言うことを理解できないということを 発見した。そしてそのことを彼自身もなぜなのか理解できないでいた。

 たとえば、マシューという男の子が、ベンジャミンと遊ぼうと話しかけてくるのだが、 彼には息子の言っていることが理解できなかった。私は、二人の間に入って、なんとか通訳しようとしたのだが、その当時、私は英語がまだ下手で、うまくいかなかった。マシュー君は、何度も何度も息子と一緒に遊ぼうと努力していたが、私自身がマシューがやりたがっているゲームをまったく知らなかったりで、しばしば理解に苦しんだ。やがて、マシ ューは息子と遊ぶことをあきらめてしまった。

 もっと子供が小さく、もっと自然な環境であれば、子供たちは言葉なしでもコミュニケ ートできるのだろうが、大きくなればなるほど、言葉を使って自分の考えを表現したいと いう欲求も増してくる。そして、授業が規則正しく行われていればいるほど、言葉の重要性も増すことになる。

 ベンジャミンは、教室の中でとても孤独だった。その理由のいったんは、息子自身が、 少しでも英語を理解し話せるようになるまでは、誰も彼を助けることができないからだっ た。それには、約3か月から6か月かかるということだった。でも、それは、子供にとっ ては、永遠とも思える長い時間かもしれなかった。

 もうひとつの孤独の原因は、息子にとって、言葉はいつもとても重要なものだったとい うことにある。息子は、話し始めた時期が早く、15ヶ月までには、とてもはっきりと話 せるようになっていたので、誰でも簡単に、彼の言っていることを理解することができた 。ところが、突然にして、誰も彼の言っていることを理解してくれなくなったという事実 は、彼を深く傷つけたに違いない。私自身も、苦しみ、罪の意識を感じた。というのは、外国に住みたいと言いだしたのは、 他ならぬ私で、息子には何の選択の余地もなかったのだから。さらに、私自身は、基本的 に英語を話せたが、私が息子にしたことは、泳ぎ方を全然知らないのに、泳ぎを覚えるようにと、いきなり水に投げ込んでしまったようなものだった。

 幼稚園に行きだして、数日後、担任の先生が、ベンジャミンも学校の規則やスケジュー ルがわかってきたようだし、母親が、限りなく子供と一緒に学校にとどまるのは「普通」 ではないので、子供を置いて帰ってはどうかと私に尋ねた。私は、なかば絶望的な気持ち で、そうしてみることにした。普段は、とても自立心の強いベンジャミンは、泣き叫びな がら私の足にしがみついた。彼の体は、これ以上不可能なほど、硬直しきっていた。この うなストレスが数ヶ月でないにしても数週間続くことは、息子にとって、精神状態にと って決して健康的なことではないことは確かだった。私は子供の心はとても壊れやすいと 信じていた。息子を一人幼稚園に残して帰ることはできなかった。そこで息子を連れて一 緒に幼稚園を出た。

 でも、幼稚園をやめされる決心は、なかなかつかなかった。とにかく英語を早く身につ けるには、アメリカの学校に通わせるのが一番だと思っていたし、英語がわかるようにな れば、カルフォルニアでの生活にも、よりなじみやすくなると思ったからだった。子供が 外国語を学校で身につけるには約3ヶ月かかると聞いていた。私は、思い悩んだ。決断を くだすのは3ヵ月が目安だ…でも、その3ヵ月は涙と恐れに満ちた3ヵ月なのだ。

 

さらに続く難関

 私たちは、まったくのふりだしに戻ってしまった。ベンジャミンは、幼稚園に行けなく なって寂しそうだった。運良く、家の近くにドイツ−アメリカン・スクール(アメリカで は、3つしかないうちの一つ)を見つけることができた。そこで、息子は、ほとんどの先生と子供たちがドイツ語を話せるということを発見し、とてもホッとしていた。そして私 も息子が元のように自立心を取り戻したことに安堵の胸をなでおろした。

 でも、このドイツ−アメリカン・スクールに通うことで、息子の問題がすべて解決した わけではなかった。息子には、新しい友達ができたが、彼らは皆ドイツ人だった。私は、 息子を、アメリカ人の子供たちや、英語に触れさせるために、近所に住むアメリカ人の家 族とできるだけ仲良くしようとした。でも、このような家庭的な雰囲気の中でさえ、息子 はアメリカ人の子供たちと遊ぼうとしなかった。それよりは、いつでも遊べる小さい弟と遊んでいた。フラストレーションを感じていたのは、弟の方も同じことであった。

 翌月は、もっと大変だった。息子達は二人とも、英語で話しかけてくる人を敵とみなし始めた 。そして、「敵」に向かっては、攻撃的な態度をとった。当時を思い返してみれば、子供たちは、カルチャーショックと同時に、言語ショックを受けていたのだ思う。それでも、息子たちが、精神的に内面で鬱屈してしてしまうよりは、まだ攻撃的な態度でストレスが 外に出てよかったと思っている。

 幸い、ベンジャミンは、ビデオを見るのが好きだった。私が、通訳し説明してあげれば 、好奇心から耳を傾けた。そして、徐々にカセットテープや本を加えていった。カルフォ ルニアでの4ヵ月目を迎える頃には、息子は、シンプルだけれども完全な英語を話し始め ていた。それでも、何度も訪ねたことのある、よく見知ったアメリカ人の隣人の家にさえ 、私なしで訪ねて行く勇気は、まだなかった。全てがアメリカという環境で、リラックス できるほど息子の英語は、まだ十分ではないことは明らかだった。

 アメリカに来て、一年が過ぎた。ベンジャミンの英語は、ずっと上達し、新しい環境に も、慣れ親しんだ。ハロウィーンには、まるでアメリカ人の子供のように近所の家のドア からドアへと「ハッピー・ハローウィーン」、と言いながらお菓子を集めてまわったりも した。

 

子ども時間 Vs. 大人時間 

もちろん、子供たちは、大人よりずっと早く外国語を学ぶ。でも子供の時間に対する概念は、大人とはまるっきり違う。5才の子供にとっての半年は、幼少年期の10分の1に あたる。子供の全ての人生や経験における10分の1。こう考えると、6ヵ月は実に長い 。子供連れで外国に行く計画のある方は、このような問題に直面するかもしれないという ことを考慮に入れておいてほしい。そして、子供が、その長く苦しい困難にあえぐ時、新 しい環境に移行するために子供が必要とするあらゆる手段をこうじてほしい。子供が泳げ るようになる前に、水に突き落とすようなことは決してしないように…。

 

隠れ帰国ママって知ってますか?

 帰国子女というと、皇室に入られた紀子さんも雅子さんもそうですが、何となく外国語 ペラペラでハイカラなイメ−ジを持って見てしまいませんか?今回のインタビュ−は、帰 国子女だった方に、実際に彼女が体験してきた言葉や、文化の壁の問題なのについて本音を語ってもらいました。

 最近、日本では、帰国子女も珍しくなってきたようですが、それにもかかわらず、色々な人から、帰国子女へのいじめとか、帰国ママの仲間外れなどの噂を耳にします。最近、 ある駐在のママから聞いた話では、外国に住んだことがあるというだけで、特別視された り、仲間外れ、村八分にされるので、親子共々、隠れ帰国子女、ママにならなければならないとのこと。え−、日本って、そんなに閉鎖的だったのかしらと改めて驚かされました 。せっかくの外国体験を生かせないなんて残念ですよね。

 「すい−とは−と」は、これからも国際派会報として、とにかくバックグラウンドに関係なく、全てのママが、オ−プンに協力しあえるネットワ−ク作りがしたいなと思ってい ます。

元帰国子女が語る子ども時代 

BY KYOKO

京子さんは、4才から8才までを香港のインタ−ナショナルスク−ルで過ごした帰国子女で、現在はアメリカ人と結婚されてアメリカ在住、妹さんもアメリカに留学中。下の「娘たちの人生を変えた海外生活」は京子さんのお母様に書いてもらったものです。


 香港で、一番大変だったことは何だった?

京子
 小さい頃のことなので、よくは覚えていないけど、やはり言葉の問題だったと思う な。香港ではインタ−ナショナルの幼稚園に入ったのだけど、最初の1週間は、泣き叫ぶ 私を、母が無理やり引き剥がして、置いていったんだって、英語は全く理解できなかったので、その後も、ただ皆の様子をじっと黙ってみているだけだったみたい。ある日、家に 帰ってきて母に「お手洗いに行きたいって英語でなんて言うの?」とポツリと聞いたそう で、その時は、さすがに母もかわいそうだな、と思ったらしい。


4才の子どもとしては、精神的にも、すごく辛そうだね。どの位、そんな辛い時期が続いたの?

京子
それが、1ヵ月位したら、もう喜んで幼稚園に行くようになったんだって。そして 、3ヵ月位たったある日、年上の女の子から電話がかかってきたら、電話口で私がペラペ ラ英語をしゃべっていたので、母はすごくビックリしたって言ってた。


へ−。子どもの順応力って本当にすごいね。大人じゃ、一年たったってそうはいかないよね。それじゃあ、次は小学校の話をしてくれるかな?

京子
 小学校は、イギリス系の学校に入ったんだけど、ここも各国からの子どもがたくさ ん集まっていて、とてもインタ−ナショナルな雰囲気だった。私は、その学校では、唯一 の日本人だったんだけど、差別されるとか特別視されたことは一度もなかったな。でも、やはり、日本人という意識は自分の中にあったのか、先生が、ある日、浦島太郎のお話を クラスで読んでくれて、「これは京子の国のお話ですよ。」と言ってくれた時は、本当に嬉しかったのを覚えてる。


 8才で日本に戻ってきて、日本の学校とか、どう思った。あと、どんなことで苦労した か話してくれる。

京子
とにかく、何もかも、日本の方が、きちっとしなければならないという感じで、勉強も大変だった。友だちなどが遊びにきて、言葉を知らないことで娘が笑われているのが聞こえると、母の方が、悔しい思いをしたって言ってた。特に、いやな思い出というと、ある 時、香港の話をしていたら、クラスメ−トに「何かっていうと、香港の話をする。」と言われたのがショックだった。「ああ、人には自慢に聞こえるんだな。」と悟って、それ以 来、絶対に香港の話はするのはやめちゃった。まあ、小さい子どもの頃だったし、自慢す るという気持ちもあったのかもしれないのね。


 日本に帰ってから、英語は忘れなかった。

京子.やっぱり、英語をしゃべる環境は全くなくなっちゃったから、徐々にしゃべれなく なっていったみたい。それでも一応、1週間に1回、双葉女学校の帰国子女の会というの に通って、そこのイギリス人の尼さんに会話などを教えてもらっていたんだけどね。その後、やっぱり、英語が好きで上智に進んだんだけど、帰りたての帰国子女たちがクラスに たくさんいて、英語力は比べものにならないほどすごいんだけど、先生に対する態度はも う挑戦的といった感じで嫌な人が多かったな。

 あと、日本語でいろんな言葉を知らなくて クラスの子に「そんなことも知らないの?」とよく笑われたりした。たとえば、美容院と か下駄箱とかいった言葉がわからないの。それで、算数のテストなんかでも、計算はよく できる方だったのに、文章題になるとお手上げ。たとえば、「わらの束が、○○あって… 」などという問題だと、わらの束がなんなのかわからなくて、ひっかかってしまうわけ。 だから、算数の点はがた落ちだった。


 そうすると、学校では帰国子女として、特別視されたりイジメにあったり、いやな思いもしたの。

京子
 それは、ほとんどなかったかな。私自身があまり気にしない性質だったので、何か言われても割りと平気だったし…。


 では、まとめとして、香港で4年間暮らしたことでのプラス面とマイナス面があった ら教えてくれる?

京子
 プラス面は、明るくおおらかになれたこと。マイナス面は、目上の人に敬語を上手 く使ったりして、敬う気持ちが足りないことかな。小さいときは、よく近所のおばさんに敬語を使わずに平気で話しかけたりして、母をハラハラさせたそうだし、中学校ではバレ−ボ−ル部に入ったんだけど、先輩に対しても「○○するの?」なんて言ってしまうので 、先輩に「それは、先輩に対する言葉遣いじゃないんじゃない。」とたしなめられたりして気まずい思いもしたし、いまだにその傾向はあると思う。

 

娘たちの人生を変えた(!?)海外生活   

(三十年前の香港赴任を振り返って)
京子の母

このエッセイは、海外駐在の草分け的存在である、友人のお母様が、当時を振り返りつつバイリンガル教育の視点から書いてくださいました。

 

鬼になって娘をナーサリーに連れて行く

 娘が四才になった夏、そろそろ自我に目覚 め始めた頃でしょうか、主人の香港赴任に伴 い当地に参りました。私どもの住まいのお隣 は、幸いなことにミセスがナーサリーを経営 なさるオランダ人の一家で、娘と同年と二才 下の姉妹をお持ちでした。初対面のご挨拶で 子供たちは動物的本能というか、すぐお互いに気に入ったようでした。

 次の日からさっそく入園し、始めの一週間 娘は興味津々積極的に通い、ホッといたして おりました。ところが一週間が過ぎ、突然娘 は登園拒否、ワーワー泣きわめいていやがり ました。私は一時ひるみましたが、鬼のごと くに娘を抱きかかえ隣のドアに連れて行きそ こでドアを開けてニコニコとウインクして娘 をキャッチして下さる先生におまかせしまして逃げ帰りました。

 そんな日が三〜四日続きました。とにかく ここで負けたら十二〜三人の微笑ましく楽し げな、あの子たちの和に入れず独りぼっちで 異国生活をしなければならないということを 恐れたのでした。でもこの強行を続けた後、 今泣いたカラスは何処へやら、ケロッとして 娘は自分から意気揚々と出かけるようになり ました。これは、言葉の問題が解決したため だったようです。始めは意味も分からず珍し かった。次にそこに加わろうと思った。でも トイレに行くときもみんな先生に何かを言っ ている。だからトイレにも行けない。単なる 傍観者が加入者に変わろうとした時の抵抗だ ったのですね。しかし、子供というものは何 と早いもので、あっと言う間におしゃべりが できるようになりました。

日本と非常に異なる教師と親の関係

 一年間が夢のように楽しく過ぎて、英国の植民地でのガバメントスクール入学年齢、五 歳となりました。入学するにはテストがあるのです。この学区のスクールは、対日感情が 良くないとか、大変厳しいとか恐れられてい ましたので心重いものがございましたが、仲 良しのお友達と一緒になれたらと挑戦させま した。でも、テストの日は、どこの国の親も 心配する気持ちに変わりはなく、待っている 間に、お互いの親近感を深めました。

 一年間ナーサリーに通ったお陰で言葉の問題もなく、数日後に入学許可の書類が届き、 ほっといたしました。スクール生活は日本と 異なり感慨深いものが多々ありましたが、と にかく親は校門から中に入れず不必要に先生 との個人的接触ができない、スクール生活は 先生と生徒のみ、親とは年一回のPTAで、 まあ挨拶したければするだけ、講堂で先生と 親が同じ席に座って委員の会議進行に加わっ ているので、どの方が先生かわからないので す。

 ですから呼び出しがあります。問題を起こすと(いたずら、いじめとかおしゃべり等) 両親が呼び出されヘッドミストレスに厳しく 注意されます。父親には勤務先に電話される と聞きました。従って、こういう制度では親 どうしの間でのトラブルはあまり起こらず、 和やかな子供本位の接触でした。お誕生日パ ーティーが趣旨を凝らして開かれ、ここで子 供たちは楽しさの中で礼儀作法を厳しく躾け られていました。その頃、噂やニュースで日本の受験戦争の 情報を知るにつけ、ここでの生活の方が、娘 にとっては幸せなのにと思ったものでした。

 下の娘は、当地で出産しカソリック系の病 院でしたが、ドクターもシスターも人間とし ての信頼感は、国を越えても何ら変わりなく 不安はございませんでした。この娘はベビー アマに面倒をみてもらったので、広東語、姉のお友達と遊ぶので英語、そして私の日本語 と、片言ながらしゃべりましたが、二才直前 で帰国して全て忘れたようです。

帰国後の思いがけない言葉の壁

 姉の方は、近くの小学校に編入しました。 香港在住時、私達そして日本人のお友達とは 日本語を話していましたので、全く言葉の心 配をしませんでしたが、思いもかけぬことに 娘には、学校用語が完全に欠如していること を思い知らされました。「黒板って何のこと ?」などと聞くのです。算数は香港の方が進んでいて、計算等は比較的良くできたのに、 応用問題の問いが理解できないといった状態 でした。でも神経が太く、順応性に富んでいたためか、すぐ溶け込めたようでした。

 とにかく、親の都合に寄って、環境の変わ る子供の世界、そこで子供は必然的に精神的 圧迫と戦わねばならず、努力せねばならない のですから、親は先ずその問題を解決してや らなくては・・・と思った次第でした。

 二人の娘は、今一人は国際結婚、一人は英文学の研究で、二人ともアメリカに住んでいるのは、幼いときの海外生活体験が国境を越 えて視野を広げたためでしょうか。

 

親の母国語以外の言語を子どもに教える方法

(“A Parents' and Teachers' Guide to Bilingualism by Colin Baker”参照)

子どもが、外国語に触れる機会をできるだけ多く作ってあげる

たとえ、親が語学下手でも、あきらめることはない

 母国語は家庭内で学び、外国語は家庭外で学ぶべきだという思い込みは間違っています。なぜならば、親自身の態度や興味、励ましが子どもの第二言語習得のさいに非常に大きな役割をになうからです。子どもが、第二言語をしゃべった時に大いにほめてやることは、子どもの自尊心を満たすために非常に大切なことです。しかしながら、ここで気をつけなければならないのは、親があまり熱心になり過ぎて、子どもをそのことで叱ったり、罰を与えたりするようになる親が出てくるということです。こうなると、子どもの創造性、探求心は失われ、防衛的になり、結局は、親子の争いに発展し、第二言語習得は著しく妨げられることになります。

 

言葉の習得はインターアクティブ(相互に関わり合う)であることが重要

 幼児に常に外国語のテレビを見せたり、テープを聞かせたりしたとしても、その幼児は外国語を話せるようにならないどころか理解できるようにもならないでしょう。このような受動的な外国語への接し方は、将来、外国語を学習するさいの学習能力を向上させるのに役立つかもしれませんが、実際にその言葉を使ってコミュニケーションを取れるようにするには、子どもがインターアクティブに外国語に関わらねばなりません。インターアクティブであればあるほど、学習効果があがります。

 たとえば、母親がドイツ語で子どもに話しかけるけれども、子どもの話しかけに対しては、まったくドイツ語で応答してやらなかった場合、母親が積極的に子どもの話しかけに対して応答してやった子どもほどは上達しないでしょう。こどものコミュニケーションの能力を最大限に伸ばしてやるためには、親がインターアクティブに外国語を使う機会を可能な限り作ってやることです。たとえば、子どもに本を読んでやる時に、その本の内容について質問をしたりして積極的に参加させる努力をしましょう。遊んでいるときも、子どもの感情や、意見、興味をもりたてる努力をしましょう。

 

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小さい子どもは新しい言葉を学ぶことが大好き

今回、インタビュ−に応じてくださったのは、アメリカ在住10年のオ−ストリア人、インガポ−ルさんです。ご主人は、アメリカ人で、現在6才と2才のお子さんを育てるかたわら(二人ともドイツ語と英語のバイリンガル)、ニュ−ジャ−ジ−州で語学学校を経営しています。さらに、現在、子供のバイリンガル教育に関する執筆活動も行っています

外国語を習い始めるのは、何才位からが理想的だとお考えですか?

幼稚園に入る前から、小学生低学年です。小さい子どもは、新しい言葉を学ぶことが大好きです。そして、それを、ほめてもらうことによって、子どもは更にやる気を起こし、次々と新しい言葉を覚え、会話することの楽しさを学んで行きます。早期外国語教育に成功例が多いのは、このように、子どもが言葉を学ぶこと自体に楽しさを見いだしている時期に始めるからなのです。小さい子どもにとって、外国語は、文法を分析したり、考えたり、舌をかんでしまうようなたぐいの学問ではな、自然に楽しみながら吸収してしまうものなんです。

日本人の子が、まったく外国に住まずに、外国語がペラペラに話せるようになるには、どんなことをしなければならないのでしょう。アドバイスをお願いします。

既に、述べたように、早い時期に始めることです。もっと大切なことは、一つの語学を習得するには、膨大な年月を要しますので、子どもが途中で飽きてしまわないように、親は絶えず、子どものやる気を刺激する努力をするということです。実際に役に立つレベルの外国語を話せるようになる鍵は、根気よく継続することにつきます。

具体的に、学校、先生、語学教材などの選び方に関するアドバイスはありますか?

できるだけ小さい頃から、外国語のテレビやビデオを見せて、外国語が自然に耳に入るような環境作りをすることをお薦めします。そして、できれば、その言語を母国語とする人で、きちんと子どもの語学教育の知識と経験のある人ら、週に2回程度のレッスンを受けることでせう。とにかく、何度も繰り返すようですが、どんな方法を使うにしても、継続することが一番大切です。親が、強制せずに、自然に楽しく学べる環境を作ってあげれば、日本にいながらにして、外国語がペラペラになることも決して不可能なことではありません。私の学校にもアメリカ人の子どもたちがフランス語や、ドイツ語を習いに来ていますが、多くの子どもたちが流暢に話せるレベルにまでなっています。

でも、あまり早い時期に外国語を教えると、母国語の方がおかしくなったりして、混乱をきたしたり、失語症になるケ−スがあるということを耳にしたことがありますが。

私の経験では、そのようなことは、一切ありませんでした。文法的に混乱したりするのは大人の話しです。小さい子どもは、たとえば、日本語のセンテンスに英語の単語を入れて、話したりすることがあるかもしれませんが、それは、混乱しているわけではなく、たまたま、適当な日本語の単語が見つからなかったので、知っている英語の単語を当てはめた、ということです。

語学以外のことで考えてみてください。何か新しいことを学んだからといって、前に学んだことを忘れてしまったり、障害を起こすことがあるでしょうか。たとえば、音楽で言ったならば、トランペットの吹き方を学んだことでピアノの弾き方に混乱をきたしたりすることがあるでしょうか。スポ−ツでも、野球を習ったことで、テニスができなくなるということがあるでしょうか。

私の子どもたちは、生まれた時からドイツ語と英語で育てていますが文法的に混乱したことはありません。ただある日、突然、子どもを英語学校に放り込んだりした場合は、精神的なストレスとフラストレ−ションから、非常な混乱をきたす子が多いのは確かです。親は、それ以前に、準備段階として、テレビ、ビデオなどで、できるだけ英語に触れる機会を作ってあげるべきでしょう。

次回は、お父さん、お母さんだけでなく、両家のおじいちゃん、おばあちゃんにも協力してもらって、言葉ばかりでなく、その背景にある文化も学ばせようと努力なさっているホイットカ−待智子さんとマ−ティンさんへのインタビュ−です。お楽しみに!

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言葉だけでなく文化も伝えたい

〈二つの言葉と二つの文化〉

アメリカ、ニュ−ジャ−ジ−州に、お父さん、お母さん、日本とアメリカのおじいちゃん 、おばあちゃん、みんなで協力して、二人のお嬢さんに英語と日本語だけでなく、その言 葉の背景にある、二つの文化も学ばせようと努力しているホイットカ−御一家にインタビ ュ−しました。

ホイットカ−一家の紹介

お父さん(マ−ティンさん)  フィラデルフィア日本協会で副会長を7年勤める。日本語堪能

お母さん(待智子さん)    アメリカ最大の製薬会社の専属通訳  
                  フィラデルフィア日本人学校幼稚部主任

長女(梨左ちゃん、14才)

次女(依美里ちゃん、9才)

マ−ティン.
わが家では、妻が仕事がら、国内だけでなく、国外への出張が多いので、私 が主婦訳を勤めています。そもそも、娘たちをバイリンガルに育てたいと願い、教育に力 を入れてきたのは、むしろ私の方でした。娘たちは、今では、二カ国語を上手に読み、書 き、話すだけでなく、二つの文化への理解も深めつつあります。

Q.
バイリンガル教育をしようと思われた一番のきっかけは何でしたか?

マ−ティン.
それには、まず、長女の話から始めなければなりません。長女の生まれた 頃は、漠然と娘が二カ国語を話せればいいと考えてはいましたが、特に、何の努力もして いませんでした。ところが、長女が2才の頃だったでしょうか、急に日本語で話しかけら れると怒るようになったのです。

その頃、母親は、他のアメリカ人のいる公衆では英語で話しかけていたのですが、子ど もを叱る時だけは、日本語で行っていたので、子どもの心の中で日本語と不愉快な経験が 結びついて、日本語の反抗、怒りという形になって現れたのでしょう。また、当時は、母 親が日本人でも、父親がアメリカ人で、アメリカで出生した子どもは、日本の国籍がもら えなかったので、私たち自身も、国籍がもらえない国の言葉を学ばせることへの熱意に欠 けていました。そんなわけで、リサの日本語教育は、一時的に中断してしまいました。

ところが、リサが4才になった頃、初めて日本のおじいちゃんが、孫の顔をミニアメリ カに訪ねて来たのですが、二人とも全く、意志疎通ができないのです。私は、岐阜の悲しそうなようすを見て、大変心が痛みました。そこで、長女の日本語教育を再開しました 。次女の時は、同じ失敗を繰り返さないように、生まれた時から、私も妻も、日本語だけ を使って育てました。

マチコ.
夫が話したように、長女が生まれた頃は、私は特に日本語を教えなくても構わな いと思っていましたので、日常使う言葉の90%位は、英語でした。その頃は、夫の方が 、子どもたちに、自分たちのル−ツを教えるためにも日本語を学ばせたいという気持ちが 強かったようです。私が、長女に、日本語を教えようと決心したきっかけは、夫とは、ち ょっと違います。

娘が4才の時、私たちは3ヵ月日本に里帰りしたんです。その頃、娘は、日本語がほと んどしゃべれなかったのですが、小さいうちは、順応性があるので、自然に言葉も覚える だろうと思い、放っておきました。ところが、日本に滞在して3週間位が過ぎた頃、娘が 言った言葉で、今でも忘れられない言葉があるんです。娘は、ある時ポツリと「森の中で 一人で取り残されたような気がする。」と言うのです。その言葉を聞いた時、私も、初め てハッとさせられ、せめて自分で友達と遊べる程度の日本語は、きちんと教えなければと 思い、主人と協力して日本語教育を始めました。

次女の場合は、ほとんど日本語のみで育て、1才8ヵ月の時に、日本へ3ヵ月行きまし た。言葉が、少々遅いのではないかと心配していたのですが、約1ヵ月過ぎた頃から、突 然、日本語が上達し、3語文(「おかあさん、これください。」など)まで言えるように なったのです。ところが、今度は、アメリカに戻ってから、夫と私が英語を話すと、手を 振ってイヤだと言ったり、体で拒絶するようになってしまったんです。それで、仕方なく 、それからは日本語だけで話しかけざるをえなくなりました。

4才で幼稚園に入った頃はテストで英語のボキャブラリ−が足りないと診断されESL (英語が母国語でな人のための英語教室)に入るように言われてしまいました。ESLに は2年間通いましたが、その頃には、英語のテストでクラスで一番の成績をとる程になっ ていたので、結果的には、とても良かったと感謝しています。余談ですが、その頃、一緒 にESLに通っていた、英語の全然できなかった日本人の子も、3〜4年通っているうち に、英語でAを取れるほどになっていました。特に、私の娘の行ったESLは優秀で熱心 な先生がそろっていて、たいへん良かったです。

Q.
個人的な質問になりまが、我が家では、息子(2才1ヵ月)に私が日本語で、夫は英 語で話かけていますが、やはり言葉が遅いようです。本にも、ほとんど興味を示しません 。前回、インタビュ−した語学学校経営のインガポ−ルさんによると、言葉の早さと知能 は、全く関係ないから心配ないと、おっしゃっていたのですが、待智子も同じ意見でしょ うか?

マチコ.
あんまり遅いようなら、ちょっと考えた方がいいと思います。結局、自分の意思 を言葉できちんと伝えられないということですから、いつまで経っても、行動が非常に赤 ちゃんぽくなります。たとえば、私の教えている幼稚部などでも「ジュ−スが飲みたい。 」と言えないために、ただ「ジュ−ス!」と泣き叫ぶような子がいます。家庭内では、お 母さんが、その一言で、何でもしてあげてしまうのでしょうが、母親以外の人には一体ジ ュ−スをこぼしたのか、ジュ−スを飲みたいののか判断できませんよね。

Q.
確かに、私も、息子が「ジュ−ス」とか「牛乳」とか言うと、何でも持ってきてあげ ていますね。私の場合、あまり「こう言え、ああ言え」と強制したら、子どもが日本語を イヤがるようになるのではないかと心配しているせいもあるのですが。これから、どのよ うに言葉を増やしていったらいいでしょうか?

マチコ.
たとえば子どもが「ジュ−ス」と行ったら、親は「ジュ−スがどうしたの?飲み たいの?こぼしたの?」などと聞き返すといいでしょう。本もペ−ジに関係なく子どもが 興味を示した部分が、あるペ−ジの自動車だけだったとしても、たとえば「自動車」「赤 い自動車」「自動車が走ってるね。」「自動車が止まってるね。」といように徐々に言葉 をつなげ、増やしていくといいと思います。

Q.
では、今度は、実際にバイリンガル、バイカルチャル教育で実践なさってきたことを お話しください。

マ−ティン.
自然に、日本の文化に触れられるように、まず、我々の周りに、一種の日本 のコミュニティ−を作りあげました。たとえば、私自身が、7年間にわたってフィラデル フィア日本協会の副会長を勤め、日本人と積極的に交流してきました。

娘達は、毎週土曜日は日本人学校に通っています。宿題も、私が見てあげますが、漢字 だけは私もお手上げなので、妻がいない場合は、日本人の家庭教師に来てもらったり、フ ァックスで日本の知人に尋ねたりと努力を惜しみません。日本にも2年に1回は行き、小 学校に体験入学しました。私たちが、日本に行けない年は、日本の祖父母が、3週間位、 尋ねてきてくれます。

これらのことは、すべて、子どもたちに二つの言葉と文化を理解させるのに大いに役立 っているはずです。更に、私たちは、子どもたちが、他の異なる文化に対しても理解を深 めるように、住む場所も考慮しました。現在、私たちの住んでいる町は、様々な人種が住 でおり、異人種間結婚の夫婦も多く、ほぼ理想的な環境と言えるでしょう。

マチコ.
学校でも年に1回、エスニック・プライド・デイという催しがあって、色々な人種の子どもたちが、それぞれに自分のル−ツに誇りを持てるように、はからっています。

Q.
リサちゃんとエミリちゃんは、自分たちの母親が日本人であるということに対して、 どう思っているんでしょうか?

マ−ティン.
自分たちが、日本人であるということを、とても誇りに思っています。

マチコ.
それは、やはり日本語がしゃべれるということが、大きく起因していると思いま す。両親、または片親が、日本人でも、子どもはまったく、日本語をさべれないというケ −スも多いですが、そのような子は、成長すればするほど、自分自身を日本人としては捕 らえなくなるどころか、むしろ、よりアメリカ人として同化したいと思うようです。勿論 、これは日本人の子どもに限ったことではなく、全ての移民の子に対して言えることだと思います。

マ−ティン.
それから、娘たちは、母親が通訳として、国内、海外で広く活躍する姿を見 て、二カ国語を話せるということは、素晴らしいことだと感じているようです。先日、長女は、大きくなったらバイリンガル弁護士になることが夢だと言っていました。

Q.
では、最後にまとめとして、これからバイリンガル教育を目指す、父親、母親達への メッセ−ジをお願いします。

マ−ティン.
成功の鍵は、父親、母親、両方の祖父母を含めた全員のサポ−トにあると尾 見ます。誰か一人でも、周りに否定的な態度をとるんひとがいる場合は、多少なりと困難 が生じます。特に、父親の役割は大切で、たとえ、父親が日本語を全然しゃべれなくても 、積極的に、母親と子どもをサポ−トしていくことは、非常に大切です。

マチコ.
日本で、英語を学ぶ場合は、アメリカで日本語を学ぶ場合よりも、環境的には恵 まれていると思います。日本では、今や、テレビをつければ簡単に多重放送が見られます し、子どものための語学教材や、語学学校もたくさんありますよね。一方、アメリカでは 、子どものための、日本語学校は限られていますし、ビデオもそう手軽には手に入りませ んので、やはり親の努力が大切だと思います。

その後  
このインタビュ−をしたのは、会報創刊当時でしたので、約4年前になります。当時1 4才だった長女のリサちゃんは、もう18才。つい先日、通訳の仕事で、そのリサさんと 御一緒する機会がありました。背のスラリとした、とても美しいお嬢さんに成長したリサ さん。当時の夢をかなえて、通訳への第一歩を踏み出していました。次女のエミリちゃんの日本語は?と尋ねたところ、リサちゃんほどは、日本語が上手にはならなかったということです。